- ホーム
- 学習する組織研究・レポート
- ASTD国際会議
- ASTD99国際会議(HVDリポートVol.2 No.1)
ヒューマンバリューは、1992年からASTD国際会議へ視察ツアーを実施しています。本ホームページには、1998年からの参加報告レポートを掲載しています。
ASTD99国際会議(HVDリポートVol.2 No.1)
人材開発の動向-'99からのトレンド
過去の産業革命を上回るスピードで社会が劇的な変化を遂げている真っただ中、私たちは2000年を迎えました。中でも、情報技術の変化は消費生活や産業構造に影響を与えるだけでなく、共同体やコミュニケーションのあり方、そして経営観のあり方の変革にも大きな影響を与えています。
昨年弊社では、米国で5月に開催されたASTD国際会議を始め、ロンドンで開催されたナレッジ・マネジメント会議(6月)、コーチング会議(9月)、そして米国で11月に開催されたシステムシンキングの国際会議に参加してきました。そうした中で、人材開発、マネジメントに関する1999年の特徴的傾向として挙げられるのは、「パフォーマンス、およびその測定への関心のさらなる高まり」「ラーニング・オーガニゼーション(学習する組織)的な考え方の浸透」「Webを活用した人材開発の動き」の3つではないかと考えています。
今回のリポートは、この3つのテーマに焦点を当て、1999年のASTD国際会議とシステムシンキング・コンファレンスで議論された内容を振り返ってみます。そして、2000年を迎えた今、何が問題になっており、人材開発のあり方やマネジメントを探求する海外の人々が、何を目指しているのかの傾向を描いてみたいと思います。
'99ASTD国際会議
『'99ASTD(1999年度ASTD国際会議&EXPO)』は、1999年5月22日〜5月27日の間、米国ジョージア州アトランタのGeorgia World Congress Centerにおいて開催されました。
この大会は53年前に始められたもので、「人的資源開発に関する世界最大の会議&EXPO」として知られています。この会議には、世界中のHRD管理者や専門家が14,000人以上出席し、EXPOには、訓練開発に携わる575社のブースが立ち並び、そこに参加することで世界の最新動向をつかむことができます。
会議は、5日間にわたって催される250余のセッションと40余のフォーラム、および数々のイベントからなっています。プレゼンターは、アメリカン・エキスプレス社、ボーイング社、ゼネラル・モータース社、インテル社、ゼロックス社等々、世界のトップ企業において訓練開発に携わっている人々が中心となっています。
'99年の全体的傾向
'99年のASTD大会の全体的な傾向としては、次のようなものがうかがえました。1つは、'99年の特徴的傾向でも挙げたように、「パフォーマンスおよびその測定への関心の高まり」であり、人材開発においては特にトレーニングの効果測定に注力をしているという点です。もう1つは、「人材開発におけるWBT(Web Based Training)の展開」です。
ここでは、この2点に絞って、'99ASTDの報告を行います。
セッションからみるパフォーマンスおよびトレーニングの効果測定重視の傾向
パフォーマンスやトレーニングの効果測定に対する関心の高まりは、'98年のASTDでも見られた傾向でした。'99年の大会では、それがさらに進展し、トレーニングの効果測定をROI(Return of Investment)という形で、明確に表現する方法が模索されており、測定方法の基本的な枠組みはできあがりつつあるようでした。企業の業績を判断する重要な指針、材料として知的資本が注目されているのにあわせて、今日では、トレーニングは投資と考えられるようになってきています。それを受けて、投下資本効率が問われているわけです。トレーニングの成果をきちんと測定し、その結果、効果が認められれば、ますますトレーニングに資金を投入できるようになり、トレーニングの質も改善できるといった良い循環を回すことができるのです。また、トレーニングが投資ということになると、どこに投資をするかということも重要になるので、トレーニングの前段階として、ニーズアセスメントの重要性も高まってきています。
それでは、主なセッションの紹介を行いながら、パフォーマンスとその評価についてみていきます。
1.「パフォーマンス・コンサルタント」の定着
パフォーマンス重視の傾向の1つとして挙げられるのが、「パフォーマンス・コンサルタント」という名称のさらなる定着です。近年トレーニングに対する認識が、トレーニングからラーニングへと変化しています。そして人々の関心は、単に学ぶだけではなく、さらにそこからどういったパフォーマンスを生み出すかということに移ってきているのです。このことを受けて、企業の内外において人材開発や研修に携わる人々がトレーナーではなく、「パフォーマンス・コンサルタント」という名称で呼ばれることが多くなってきました。
「パフォーマンス・コンサルタント」の草分け的存在で今も中心となって活動しており、昨年のASTDでアワードを受賞したデイナ・ケインズ・ロビンソンとジェームズ・C・ロビンソンの夫妻は3年連続でセッションを担当しました。'99年の大会では2つのセッションを受け持ち、そのうちの1つでは、3年間の研究の集大成をわかりやすく解説し、もう1つのセッションでは、「パフォーマンス・コンサルタント入門」としてパフォーマンス・コンサルティングの基本的プロセスを紹介しました。具体的には、パフォーマンス・コンサルタントの呼び名から、仕事の中身、必要とされるコンピテンシー、態度、そして、パフォーマンス・コンサルタントの仕事のプロセスで必要なテクニックなどです。
それらの内容からは、パフォーマンス・コンサルタントが、単なるはやり言葉ではなく、新しいコンセプトとして現場で受け入れられ、その具体的な方法論もかなり定着している様子がうかがえました。
2.トレーニング評価の重要性の高まり
もう1つの傾向が、トレーニング効果についての具体的な測定方法が確立されつつあるということです。もともとトレーニングの効果測定は、ドナルド・カークパトリックが提唱したトレーニングを評価する「レベル4」が出発点となっています。
カークパトリックは、以前からトレーニングを次の4つのレベルで評価することを提唱してきています。
- 1.反応レベル
- 受講者はプログラムをどの程度気に入ったか。
- 2.学習レベル
- どのような原則・事実・テクニックが学習されたか。どのような態度の変化があったか。
- 3.行動レベル
- プログラムを受講した結果、職場での行動にどのような変化が起きたか。
- 4.結果レベル
- コスト削減・品質向上・生産量の向上などの観点から、プログラムによってどのような目に見える結果が得られたか。
(「The ASTD Training & Development Handbook」より)
'99ASTDのセッションでは、カークパトリックの「レベル4」モデルに、5つめのレベルとしてROIレベルを加えたものなど、様々な応用モデルが紹介されました。その中の1つとして、トレーニングハウス社のスコット・パリーは、トレーニングの評価として下記の4つを挙げています。
- リアクション:受講者の反応
- ラーニング:受講者の理解度
- アプリケーション:受講者の実践度
- リザルツ:成果、ROI
このセッションでパリーは、トレーニングのための資金と組織のサポートを勝ち取るために、トレーニングへの投資の方法やどのようにして利益回収計算を行うかということを紹介しました。さらに4つのトレーニングの例を挙げて、研修効果を測定できるデータを詳細に示し、それにかかる7つのコストを明らかにするチャートを提示しました。
パリーのモデルでは、トレーニングの前にまずニーズアセスメントを行い、次に、トレーニングの効果として何を測定するのかを定めます。たとえば、プロジェクト・マネジメントがテーマであれば、プロジェクトの予算・時間、それらの超過に対するペナルティ、ゴールを修正した回数、問題の発生回数など、かなり細かい設定が紹介されました。さらに、トレーニングにかかわるコストの計算を行います。コストは大きく分類すると、(1)コース開発費、(2)学習教材費、(3)研修備品費、(4)会場費、(5)研修交通費・宿泊食事代、(6)人件費(研修期間中の受講者の人件費・スタッフの人件費・講師謝礼)、(7)研修期間中の生産性の減少分、に分けられます。
そして、ROIを分析するためには、次に挙げる実行性に影響する5つの変数を考慮する必要があるとしています。
- 準備時間(立ち上げまでの)
- 棚上げ時間(変化への抵抗)
- 利益を回収するまでの期間
- 受講者の数
- コースの期間
そして、計測すべきベネフィットを大きく分類すると、①時間の減少、②生産力の向上、③品質の向上、④個人のモラル向上、を挙げています。
こういったトレーニングのROIを測定する方法のセッションは、'98年から多く見られるようになってきましたが、今回のパリー氏のプレゼンテーションは、その緻密で実践的な項目の提示において1つの頂点を示しているように思われます。しかし現実には、そのすべてを活用することは難しいでしょう。企業は、このセッションで紹介された項目を1つのテンプレートとして活用し、実践場面ではどの項目を使うかを、コースのねらいや状況に合わせて選定する必要があると思われます。
以上紹介したように、パフォーマンスの評価、およびトレーニングの効果測定に対するニーズは年々高まっていますが、効果測定そのものにかなりの労力が必要であることは否めません。そもそも、すべてのトレーニングについて測定するべきなのかという問題もあります。そこで、どのような研修を評価の対象にするかについての基準が必要と思われます。今後、日本の企業においても研修効果の測定が強く求められるようになるかと思いますが、それを行うには研修の立ち上げの段階から、いつ何を測定するのかを決めておかないとうまくいかないことに注意しておきたいものです。
人材開発におけるWebの活用
'99ASTDの大きな特徴のもう1つが、人材開発におけるWeb活用の進展です。
1.日常的になったインターネットの利用
1998年での米国の家庭におけるパソコン普及率は37.0%になっています。そして日本では11.0%、日本国内企業での普及率は80.0%です。(平成11年版 通信白書より)
台湾では今年から小学1年生から全員が英語を習い、小学4年生から全員がパソコンを習うそうです。こういったインフラを学習に利用しようという試みは数十年前からなされてきましたが、ITの進展とともに学習理論も大きな変化をしてきました。
CAI(Computer Assisted Instruction)からCBT(Computer Based Training)に言葉が移り、さらに最近ではWBT(Web Based Training)という言葉がよく使われるようになりましたが、それらは単なるはやり言葉ではなく、背景に学習のしくみに対する大きな概念の変化があることが日本に正しく伝わってはきませんでした。見かけのハードは同じでも、背景にあるソフトの概念や理論は、10年以上の遅れをとっていると断言してもよいのではないでしょうか。
今日の日本の企業でも、メールアドレスを個人がもつようになり、イントラネットを活用できる体制を取っているところが増えています。企業の研修開発を担当される方々は、このインフラを研修に活用する検討を行う必要があるかと思います。
なお、ここでのWBTとは、「文字や画像、音声などさまざまなメディアにハイパーリンクが貼られたドキュメントを手元のコンピュータの画面に表示し、それを通して自分で行う学習や訓練」をいいます。
2.Webを利用したトレーニング
'99年のASTD国際会議では、Webを用いた人材開発を扱ったセッションが数多く見られましたが、その代表的なものとしてディベロップメント・ディメンションズ・インターナショナルのチーフ・テクノロジー・オフィサーであるピーター・ウィーバー氏がWBTについて語ったセッションがありました。
セッションの中でウィーバー氏は、WBTを使う人たちがそれを好んでいるかどうかで、学習の効果に違いが出るかについての調査結果を紹介しました。まず、集合教育とWBTについて、単純に「どちらが好きか」を尋ねた設問では、「集合教育のほうが好き」と答えた人が圧倒的に多かったそうです。ただし、これにはいくつかのバイアスがかかっているという指摘がされていました。それは次のようなものです。
- 人間は社会的な学習者である。
- 人によっては、ある程度の緊張が学習には必要であると感じている。
- 集合教育に出かければ、日々の雑用に忙殺されないですむという思いがある。
- コンピュータを使って1人で学習していると、マネジメント層が納得してくれない(「仕事をさぼっている」という偏見をもっている)。
そしてウィーバー氏は、この調査から「WBTが好きかどうかということと、学習に対するモチベーションの高さとはあまり関係がない」という結論を得ました。また、WBTの効果についての355の研究を調べてみると、「インタラクティブかそうでないか」「ハイテクノロジーを使っているかローテクノロジーか」などの違いについては、それぞれの間で有意差はみられなかったということです。
3.WBTによるコスト削減
しかしながら、学習のためのコストについてみるとWBTは非常に高い削減率を示していると指摘しています。ネットワークOSの「ネットウェア」でおなじみのノベル社において、「サーティフィケーション・クラス」と呼ばれる3日間の技術認定コースを実施した場合、'96年頃では参加者の移動・宿泊の費用と、仕事から離れている間の機会損失といったコストを別にしても1人当たり1,800ドルかかっていたそうです。しかし、Webを活用することで、現在このコストは、1人当たり700ドルから900ドルの範囲ですませられるようになったとのことでした。
また、シスコ社ではインストラクターが前に出て話す、いわゆる講義形式の研修に、1人当たり1,200ドルから1,800ドルのコストがかかっていましたが、Webを使うことで120ドルにまでコスト削減ができたそうです。
こうしたことを踏まえ、ウィーバー氏は、「学習にコンピュータを使うからといって学習に対する動機づけが極端に下がるわけではなく、コストが大幅に削減されるのだから、WBTをやった方が得策だ」と提言しています。
4.WBTの今後
『TechLearn Trends』という雑誌の'98年5月号に掲載されたアンケート結果では、大企業の92%が'99年中にWBTを導入すると言っているのだそうです。また、企業がWBTを導入するのを助けるスタートアップカンパニーも出てきており、WBTは確実に成長していると、ウィーバー氏は述べていました。
●優れたコンテンツの配信
またWebにおいては、学習のためのコンテンツとそれを配信するためのテクノロジーの関係が一層深くなり、切り離せなくなっています。質の高いコンテンツと高い技術の両方が求められるわけです。
コンテンツということでは、WBTをよりよいものにしていくために、現実への適応性がある学習内容とテストの機能を備えておくこと、そして学習効果をどうやって測定するかを考えておくことが大切になってきます。さらに、「ポスト・ラーニング」という呼び方で、学習内容の更新を含んだ学習後のフォローが必要になるとのことでした。
●技術的な面
技術的な面に注目すると、学習内容をネットワークで届けるための「プッシュ技術」がさらに注目を集めるようになるであろうとのことでした。
Webで使われる新しい言語としては、今後XMLやDHTMLが伸びてくるとの予想が示されていました。
そして、ネットワークを使ってより円滑に学習するために欠かせないものとして、データ送受信の速度が今後問題になってくるとのことでした。もちろん、要求したデータがすぐにコンピュータの画面に表示されたからといって、学習がより促進されるわけではありません。しかし、画面表示の時間が長引けば、学習者の心理的ストレスとなり、学習の妨げになるでしょう。
また、データ量が大きい場合は、圧縮して配信することになりますが、その際のより効率的な圧縮技術や、より速いデータのやり取りの方法などが世界的に注目されてくると思われます。
たとえば、ウィーバー氏が紹介していた技術の1つに、ADSL(Asymmetric Digital Subscriber Line:非対称デジタル加入者線:一般家庭に引かれている既存の電話回線を使って高速のデータ伝送を実現する方式)がありました。私たちがASTDに参加していた'99年の5月の時点では、ADSLという言葉を知らない人の方が多かったようです。しかし、その後ADSLを使って高速で低料金のインターネット接続を可能にした「東京めたりっく通信」が、新聞・雑誌などで話題になったので、今では記憶にある方も多いかと思います。
5.答えは風のなかに舞っている
セッションの最後にウィーバー氏は、米国のシンガーであるボブ・ディランの「風に吹かれて」という曲を会場に流し、「インターネットやネットワークの未来については、答えが風の中に舞っているようなもので、結局のところ誰にもはっきりと読み取れないんです」といった冗談を言って、参加者の笑いを誘っていました。確かに、変化が激しいテクノロジーの未来をはっきりと捉えることはできないでしょう。しかし、どういった傾向・動きがあるかを押さえておくことは重要なことだと思われます。 ウィーバー氏も、WBTを活用していくための重要事項の1つとして「テクノロジーの分野を継続的にモニターしておくこと」を挙げていました。'99システムシンキング・コンファレンスの報告
コンファレンスの概要
'99システムシンキング・コンファレンスは、1999年11月1日〜5日にかけて米国ジョージア州アトランタのヒルトンホテルで行われました。ヒューマンバリューは、'97年のオーランド、'98年のサンフランシスコに続いて、3回目の参加となります。'99年の参加人数は、大会開始一週間前の集計で5大陸33カ国730人に達していました。アジアからは8カ国26人で、日本からの参加者は3人でした。
コンファレンス全体を通じた特徴として挙げられる点は、(1)ナレッジの意味の明確化、(2)変革のレバレッジ、(3)『ダンス オブ チェンジ』の出版、(4)ラーニング・オーガニゼーション(学習する組織)の国際化とアジアでの展開、(5)変化のプロセスへの着目、の5つです。
次に5つの特徴それぞれについて見ていきます。
ナレッジの意味の明確化
1つめの特徴として、ナレッジに対する見解が明確になってきた点が挙げられます。
メイン・コンファレンスの前に、ラーニング・オーガニゼーション(学習する組織)の提唱者であり、SoL(Society for Organizational Learning:組織学習協会)の理事長でもあるピーター・センゲとSoLのマネジング・ディレクターであるヨーン・カステッドによって『ナレッジ・マネジメントとラーニング・オーガニゼーションの統合』という2日間のミニ・コンファレンスが行われました。現在、多くの企業が、ナレッジ・マネジメントを推進するために、情報技術(IT)への多額の投資と、組織学習を推進するための投資を行っています。このミニ・コンファレンスは「この2つの投資への努力の統合がこれから取り組んでいくべき大きなテーマである」という観点から展開されました。
また、メイン・コンファレンスの基調講演でもセンゲは、「知識の普及に知識の生成を織り込む」というタイトルで、ナレッジの意味について語りました。そこでは、「ノウ・アバウト(〜について知っている)」と「ノウ・ハウ(やり方を知っている)」の区別を明確化することの重要性が訴えられました。「知る」には、「ノウ・アバウト」と「ノウ・ハウ」の2つの意味があります。「ノウ・アバウト」とは、それについて情報をもっている、それを見聞きしたことがあるということを意味します。一方、「ノウ・ハウ」は、ある特定の領域における具体的スキルのことをさします。したがって、「ノウ・アバウト」だけでは効果的な結果が生み出されるとは限らないのです。こうした違いを踏まえて、ナレッジ・マネジメントが扱うのは、「ノウ・ハウ」であり「ノウ・アバウト」ではないことが強調されました。
また、日本でも注目を浴びているナレッジ・マネジメントについても、「ナレッジ・マネジメントというと、すぐにハードウェアやソフトウェア、アプリケーションへの投資と考える人がいるが、ナレッジとは『ノウ・ハウ』のことである」という考え方を示し、それが共通見解として認知されていました。そして、ナレッジ=知識を普及させる過程においても、知識を生み出していくことが必要であること、知識を生成するにはチームやコミュニティ、ネットワークが必要であり、経営者は、知識の生成と普及を促進するために、ネットワークやチームレベルでの組織学習を推進するためのプロセスを検討し、そのためのインフラの整備も必要であることを述べています。
これは、ナレッジ・マネジメントとITの推進、そして組織の学習を展開するための1つの方向性を見い出す答えであるといえるでしょう。
変革のレバレッジ
2つめの特徴として、変革のレバレッジは、外側の変化よりも我々の思考の枠組みの変化と、それに伴う人間同士の関係のあり方の変化にあることが、一層明確に示されるようになってきたことが挙げられます。同時に、5つのディシプリンの理論とツールは、ますます多くの実践事例や調査研究に支えられて、非常にしっかりした体系を形成するプロセスが進んでいます。「システム思考」や「ダイアログ」などの理論やツールも、驚くほどの広がりと深さをもったものになっています。
コンファレンスの中では、2日目に行われたセンゲの基調講演の中で、変革のレバレッジとして思考の枠組みを変えることで成功したクライスラー社の事例が紹介されました。ここでは、「左側の台詞(セリフ)」※という、クリス・アージリスの開発したツールが鍵になっています。
クライスラー社のあるプロジェクトでは、初期のスケジュール通りにできている部品は全体の45%しかなく、製品の完成が予定から大幅に遅れるという問題がありました。クライスラー社では、この問題を解決するために9カ月間に12回のミーティングを行いました。しかし、何度会合を重ねても、経理部長であった女性と企画部長がお互いに譲らず、硬直状態が続いたということです。経理部長は「この人たちは予算枠とか納期を守るという、規律を守る気持ちがないのかしら?」と思い、企画部長は「あの連中は数字しか頭にない」と考えていたのでした。そこで、何回目かの会合で、「左側の台詞」のワークショップを行い、お互いが以前より自分たちの考えていることを、それほど興奮しない形で正直に口にすることができるようになり、皆が協力してこのプロジェクトのシステム図を描きました。
そして、システム図を描くことで、部品のスケジュールを遅らせているいくつもの要因を発見することができたのです。そのシステム図を見て、プロセス全体のレバレッジを指摘したのは経理部長でした。彼女は、部品がスケジュール通りにできあがっていないことを報告するまでの遅れが、レバレッジとなっていることに気づいたのです。技術者たちの間では、自分たちが直面している問題について話し合うものの、他の部門や上司には、できるだけそれを隠そうとする傾向がありました。それが、スケジュールの遅れを報告することを遅らせていたのです。そこから明らかになったのは、部門間の個別意識を取り除いて、皆が同じプロジェクトに携わっているというチーム意識が生まれれば、1つの部門の問題はチーム全体の問題であるという認識ができて、もっと正直に、できるだけ早く問題を報告しようとするようになるということです。「製品の完成の遅れ」という、一見技術上の問題のように見えるものでも、その多くは人間の問題である場合が多いのです。
これは、問題のレバレッジを人間同士の関係の中に見つけ、システム思考というディシプリンと「左側の台詞」というツールを用い、問題を解決へと導いた例です。このセッションの最後にセンゲは、「ここからわかることは、問題は解決されるのではなく、『我々は、自分たち自身に対して何ということをしていたのだ!』という気づきによって、解消されるのだ。」と言っています。
※言葉のやり取りにおける「言葉に表現されない部分」の認識を深め、会話の改善点を発見する手法。
髪の右半分に実際に起こった会話を、左半分に口に出せなかった想いや感情を「左側の台詞」として書く。
変革の道しるべ─『ダンス オブ チェンジ』の出版
3つめの特徴に、様々な組織変革の事例を踏まえた、「変革の道しるべ」ともいえる『ダンス オブ チェンジ』が出版されたことが挙げられます。これは、先に世界で出版されている『ラーニング・オーガニゼーションのフィールドブック』(日本では未訳)の2冊目の書籍であり、変革の初期・維持期・再設計期に組織が直面しがちな10の課題を中心にまとめられています。そこには、ラーニング・オーガニゼーション(学習する組織)に基づいた変革努力においては、個人の充実感、チームの活性化、業績の向上という3つの拡張循環を回すことと、ラーニング・オーガニゼーションを実現するプロセスに関して、組織上層部が十分に理解していることが必要であることも示されています。そして、ピーター・センゲは、『ダンス オブ チェンジ』に対して「メルカトールが、未熟な表現法であったとはいえ、初めて全世界を1枚の地図に収めたように、我々はこの本によって、組織変化というプロセスの全体像を、たとえゆがんだ形であれ、初めて1枚のマップに納め得たと感じている。」と評し、『ダンス オブ チェンジ』がラーニング・オーガニゼーションについて学ぶための基準となる書籍であることを示し ています。
ラーニング・オーガニゼーション(学習する組織)の国際的な広がりとアジアでの展開
4つめの特徴としては、システムシンキング・コンファレンスの参加者の国際性が毎年高まっていると同時に、ラーニング・オーガニゼーションも国際的な広がりをみせていること、特にアジアでの展開が活発になっていることが挙げられます。
今回のコンファレンスでは、SoLのダニエル・キムとダイアン・コーリーから、ラーニング・オーガニゼーションに関する指導を受けているシンガポール警察が、フォーラムでプレゼンテーションを行いました。セッションでは、オックスフォード大学とハーバード大学で学位を取得したシンガポール警察本部長のクー・ブー・フイと、その部下である4人の警察官が、プレゼンテ−ションを担当しました。
シンガポール警察は、MITのダニエル・キム教授とペガサス社のダイアン・コーリー女史を定期的に講師に招いて、組織を挙げてラーニング・オーガニゼーションに取り組みました。その結果、組織学習についての様々なツールを用い、関係者の間に共有ビジョンをつくることに成功したのです。そして、市民とのパートナーシップの構築や中央部から最前線に至るまでのエンパワーメントを実施し、警察の民主化や民間の協力態勢が高まったり、システム思考を活用することで犯罪率を低下させるなど大きな成果を上げました。
さらに、シンガポール警察は、年4回、組織学習フォーラムを企画しました。その後、シンガポールの文部省、大蔵省などの政府機関、大学、銀行等も、その動きに刺激されてラーニング・オーガニゼーションを取り入れ始めたそうです。シンガポール警察の一歩が、シンガポールの行政体全体の中にラーニング・コミュニティをつくることにつながったのです。
このシンガポール警察の例以外にも、インテル社の副社長デイヴィッド・マーシングが、マレーシア、フィリピン、上海におけるインテルの成功事例を中心とした基調講演を行うなど、アジアにおけるラーニング・オーガニゼーションの着実な進展の足取りが紹介されました。
変化のプロセスへの着目
最後にシステムシンキング・コンファレンス全体から読み取れる特徴として、成長や変化に対する人々認識の変化が挙げられます。
これまでは、あたかも変化という名前の自動車を、チェンジエージェントと呼ばれる人間たちが運転するかのごとく、「変化を引き起こす」「変化を方向づける」という言い方が使われ、自分たちが望むような結果が生まれたら、それを成功と呼ぶ傾向が一般的でした。これは、先に挙げた'99ASTDの特徴である、パフォーマンスおよびその評価への注目ともつながるもので、変化の中でも特に成果、つまり成功に至った結果を生み出した変化のみに着目するものでした。
しかし、'99年のシステムシンキング・コンファレンスでは、パフォーマンスだけに注目してそのプロセスとそこで起きる学習を忘れてしまっては、期待した成果を上げることができないといったことが理解されるようになりました。最近では、変化のプロセスをより有機的、生物学的に捉える傾向が顕著になってきています。それは、「植物の種の中には既に変化(成長)の能力が備わっていて、人間の仕事とは、植物の成長を阻害する要因を取り除き、促進する諸要因(水・日光・温度・養分等)を確保してあげることでしかない。個人や組織の学習能力、変化成長の能力もそれと同じである。」という考え方に基づくものです。我々の仕事は、もともと個人や組織に備わっている力が発現するのを手助けすることであって、それは、無機物の機械を運転・操作することよりも、植物や動物などの生き物を育てることや、子育てなどに似たプロセスであるという認識が定着しつつあるといえます。
学習とパフォーマンスのはざまで
2つのコンファレンスを通して、パフォーマンスとその評価、人材開発におけるWBTの活用、ラーニング・オーガニゼーションの進展といった3つの特徴を見てきました。この3つはややもすると相反する事象であるかのような印象を与えるかもしれません。しかし、『ビジョナリーカンパニー』(1995年:日経BP出版センター刊)の著者であるコリンズとポラスが、調査で明らかにしたように、多くの先進企業は、一方で企業の利益を越えて自分たちの理念やビジョンを実現する熱意をもちながら、もう一方では、企業としてのビジネス、利潤を追求するといった一見相反する2つの側面をもっています。これと同じように、我々が抱えている「パフォーマンスの追求」と「ラーニング・オーガニゼーション、組織学習」、「IT」と「人間の関係性」といったそれぞれが相反するように見える問題についても、どちらがよいかといった問題ではなく両者のバランスを取りながら進んでいく必要があるといえるのではないでしょうか。
パフォーマンスに着目し、トレーニング等についてもその評価をしっかり行うことは必要不可欠なことです。しかし、同時にそのプロセスに着目し、相互の学習性を高めていくことも同様に欠くべからざることなのです。2000年はそうした要因を具体的に取り込んでいく組織変革のプロセスが一層明らかになっていく年といった見方ができるのではないでしょうか。
HVDリポート
2000年1月1日発行
発行人 高間 邦男
発行所 株式会社ヒューマンバリュー