主張と探求のバランス
ダイアログでは、意味の共有化が生まれ、より良い考えを共に追求する動きが生まれます。一方、ディスカッションでは、異なった見解の中でどれが正しいかを決める話し合いが行われるため、探究よりも主張が重視されがちです。私たちは、自分の意見をもっているとき、それが本当に正しいかどうか探究することよりも、ついつい自分の支持する意見や仮説を主張することに意味があると思いがちになります。そし て、自分の考え方に合わない見解に耳を傾けることすら、あたかも自分という人間の尊厳が失われるかのように感じてしまいます。そのため、自分の考えに合わない話がされている間は、相手の声を聞くための心の耳を閉ざして、自分の中の独り言に耳を傾けている状態になります。仮に相手の話を耳に入れるとしても、それは相手の話の矛盾を指摘したり、反 対意見を言うための材料を探すためだけに行われます。そこでは自分の考えという狭い世界に閉じこもってしまい、話し合いの場に参加しているメンバー全員の頭脳を結集して考える機会を活かすことができません。
ディスカッションでは、このような状態が普通のこととして見られます。そのため、たとえ話し合いの参加者1人ひとりの能力が100であっても、参加者全体としての思考能力は、参加者の数に反比例して低下してしまうのです。
(1998/9/15)