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HVDリポートVol1 No.9  1998年10月1日発行

コンピテンシー-人材開発、人事制度変革のレバレッジ

これまでの日本企業では、職能資格制度を中心とした年功序列の人事制度がその基盤となってきました。しかし、近年、年俸制をはじめとして実力主義的な要素を組み込んだ人事制度が取り入れられることが多くなってきています。そうした人事制度の変化は、社内外の環境変化に対応しようとするものであり、その対応策のキーワードとして注目をされてきているのが、今回取り上げる「コンピテンシー」です。しかし、コンピテンシーが取り上げられている実状をみると、漠然と理解されたまま、言葉だけが一人歩きして、その実体が捉えきれずにいるといった感があります。そこで今回のHVDリポートでは、「コンピテンシーとは」「コンピテンシーが取り上げられる時代的背景」「実効性のあるコンピテンシーを構築するための観点」「コンピテンシーを活用する」という点から、「コンピテンシー」を整理していきたいと思います。


コンピテンシーとは

コンピテンシーとパフォーマンス

近年欧米では、コンピテンシーと並んでパフォーマンスという言葉がタイトルとして掲げられ、講演会などで頻繁に取り上げられるようになりました。そういった中で、社内外を問わず企業の人材開発を担う人々を「パフォーマンスコンサルタント」と呼ぶケースが増えています。米国では、すでに人材開発に携わっている人の44%が「パフォーマンスコンサルタント」という呼称を使っています。「パフォーマンスコンサルタント」という言葉は、人材開発を担う人の新しい役割を表現した言葉です。こうした新しい言葉の活用は、人材開発を担う人の役割が「人々を育成開発するために研修をデザインしたり実施したりすること」から「企業のパフォーマンスを改善するためにニーズをアセスメントして様々な手段をデザインし実行する援助をすること」へ変化しつつあることを示しています。企業の中でも、人材開発にかけるお金に対する考え方が、コストから投資に変化してきました。その中で人材開発は、これまでのような「どういった効果が上がるのかわからない」といったものではなく、「企業の戦略やミッションと密接に結びつき、パフォーマンスに貢献するもの」として位置づけられるようになってきたのです。そうした変化の中で、人材開発を担う人も単に研修を実施するだけではなく、企業におけるパフォーマンスを改善していく人として位置づけられるようになりました。
このようにパフォーマンスが注目されるようになると、どのようなことに焦点を合わせ人材開発を行えばパフォーマンスが上がるのかを明らかにする必要が生じてきます。そういった理由で注目されるようになったのが、「コンピテンシー」です。

コンピテンシーとは

現時点でヒューマンバリューの考えている「コンピテンシー」は、単なる能力や特性ではなく、「パフォーマンスを生み出すために求められる態度、技能のことで、実務に即した具体的な行動によってそれらの水準が示されているもの」を指します(コンピテンシーの例は、HVDリポート第2号「営業担当者のコンピテンシー一覧(例)」参照)。それに対して、これまで日本で使われてきた「能力」という言葉は、「もっている能力」に近い意味で使われることが多かったようです。英語で言えば、ケイパビリティ(capability)に相当します。また、日本のこれまでの人事制度の中心となっていた職能資格制度は、職能ごとに資格、等級を定めて、その資格に対して報酬を支払うというものです。言い換えれば、その人がどういったパフォーマンスを生み出したかではなく、どういった能力をもっているか、保有能力に応じて報酬を決定していく制度といえます。現在は、こういった職能資格制度に変わって成果主義的な人事制度が用いられるケースが増えています。そこで、「能力」に対する考え方もこれまでの「ケイパビリティ」的な捉え方から「コンピテンシー」的な捉え方に変化してきました。つまり、資質としてどういった能力をもっているかではなく、パフォーマンスに結びつく行動をどれだけとっているか、そういった態度、技能をどれだけもっているかが問われるようになってきたのです。
こういった理由から、現在、多くの企業がコンピテンシーに着目するようになったと考えられます。それでは次に、コンピテンシーが求められるようになった時代背景をもう少し探っていきます。


コンピテンシーが求められる時代背景

コア・コンピタンスが問われている

1998年10月2日付の日経産業新聞では「外資 切り込む市場変革への挑戦」と題して、米国の医薬最大手メーカーのメルクが過半数を出資している万有製薬を取り上げています。万有製薬では、営業の第一線に立つMR(Medical Representative=医療情報担当者)に女性を起用しています。欧米では、女性のMRは一般的に認知されていますが、日本では男性の仕事というイメージが強く、女性MRは少数派です。しかし、万有製薬では91年の初採用から、現在ではMR全体の2割を女性が占めるに至っています。98年春の実績では男性50名に対して、女性89名の採用を行っています。
万有製薬が女性MRの採用を積極的に進めるのには、単に女性を積極的に活用しようとする動きだけではなく、MRの仕事そのものの変革に大きな原因があります。これまで、MRの仕事というと医師に対する医療情報の提供だけではなく、価格の交渉や接待などが大きな比重を占めており、男性向きの仕事であると考えられていました。しかし92年以降、価格の交渉権が製薬メーカーから卸に移り、接待も禁止の方向が示されるようになると、これまでMRの仕事を進める上で必要とされてきた価格交渉や接待を行うといった能力は必要がなくなってしまいました。それよりもお客様である医師に対して、いかに専門的な情報を提供できるかが問われるようになったのです。そうしたMRに求められる能力の変化にすばやく対応したのが万有製薬です。結果として、他社がMRとしての採用をしてこなかった女性、その中でも薬学部を優秀な成績で卒業し、高い情報提供力をもっている女性の積極的な採用につながったのです。つまり、仕事の内容の変革が、求められるコンピテンシーの変化をもたらし、それが求められる人材像を変えていったのです。
このように現在では、今までの仕事のやり方ががらっと変わってしまうといった事態が珍しくはありません。仕事のやり方が変われば、当然求められる能力も変化します。現在、様々な企業でコンピテンシーが取り上げられることが多くなった理由の1つに、仕事のやり方の見直しを迫られ、その中で本当に成果に結びつくのはどういった能力、特性、行動なのか、いわば自らのコア・コンピタンスを明らかにする必要に迫られていることがあげられます。

「ゼネラリスト」から「プロフェッショナル」への変化

変化のスピードが遅く、社会の複雑性が少なかったこれまでのビジネス社会において、人材として求められたのはゼネラリストが中心でした。そこでは高い専門性よりも、多くの分野における知識をもっていること、会社の都合でいかようにも活用できる人材が求められたのです。企業にとっては、平均以上の人材を確保していればなんとかなった時代ともいえます。そういった中で、ゼネラリストの平均的な能力の指標となっていたのが職能要件表です。職能要件表では、具体的な行動の仕方は述べられていませんが、1つの職能に求められる要件が誰にでも理解でき、多くの人に適用できる形で客観的かつ抽象的に並べられています。ゼネラリストは、そうした要件のすべてを満たしているに越したことはありませんが、通常はそのすべてを保持している必要はありませんでした。
しかし現代では、社会の複雑性が増した結果、平均的な能力をバランスよくもっているゼネラリストでは、その複雑性に対応することはできなくなってしまいました。そこでは、パフォーマンスに結びつくプロフェッショナルとしての高い専門性が求められるのです。その指標となるのがコンピテンシーです。コンピテンシーはパフォーマンスに直結するもので、それを生み出すためには不可欠な要素であるといえます。
つまり、ゼネラリストが求められた時代では、パフォーマンスとの関連が明確ではないが、今後パフォーマンスに結びつくかもしれない能力をバランスよく有していることが求められました。しかし、社会の関係性が複雑になるに従って、漠然とこうした能力を有していればよいというのではなく、パフォーマンスに確実に結びつくプロフェッショナルとしてのコンピテンシーが必要とされるようになったのです。

パフォーマンスを評価する

世界最大の人材開発に関するカンファレンスであるASTD(米国人材開発機構)の国際会議に参加していると、そこで使われている「パフォーマンス」という言葉の意味が徐々に変化していることに気づきます。以前は、「パフォーマンス」というと、数字で表すことができるような結果を意味する「成果」として活用されることが多いようでした。しかし、昨年から今年にかけては「性能」という意味合いを含んで使われることが多くなりました。それは、パフォーマンスを評価する際に、結果として現れた数字だけで測るのではなく、どのような質が実現できたのか、そのためにどういった行動をとったのかといった「性能」で評価をしようとする動きが出てきているのです。
その理由として考えられるのが急激な環境の変化です。数字的な目標を掲げても、環境の変化によってそれがまったく不可能なものになってしまったり、逆に至極容易に達成できる目標になってしまうことがあります。つまり、現代ビジネス社会では、パフォーマンスに目を向けそれを測定しようとすることが主流となっていますが、その測定は困難度を増すばかりなのです。そこでパフォーマンスの評価をする際には、実際に数値としてあがった結果だけではなく、性能面の評価も行おうとする動きが出てきました。この性能面の評価の基準となりうるのがコンピテンシーというわけです。コンピテンシーを評価に取り入れることで、変化の激しい時代において、環境の変化に左右されずに、その人がパフォーマンスに結びつく行動をどれだけとったかを評価することが可能になるのです。


コンピテンシーを実効性の高いものとするための観点

アカンタビリティを明らかにする

図1は、コンピテンシーの人事システムへの適用を表したものです。この図にもあるように、コンピテンシーと密接なつながりをもつのがアカンタビリティです。コンピテンシーが態度や行動、特性を示すのに対して、アカンタビリティは、コンピテンシーが何のために必要なのか、それができることでどういった役割、責任を果たすことができるかを示したものです。


図1:「アカンタビリティ」と「コンピテンシー」を用いた人事システムの運用プロセス(例)

米国のプロ野球、メジャーリーグでは、4番打者は打点が評価され、2番打者は犠打の数が評価されることが普通です。つまり、4番打者と2番打者では求められるパフォーマンス(成果・性能)は異なっています。2番打者としての役割、責任は「走者を得点圏に進めること」であり、それを具体的な数値として表したのが「犠打数」です。一方4番打者としての役割、責任は「塁上にいるランナーをホームに還すこと」であり、それを具体的な数値として表した「打点」で評価をされます。メジャーリーグでは、4番打者のようなクリーンアップと2番打者とでは、求められる役割、責任が異なっており、その違いに応じた評価の仕組みが確立しています。こうしたことはピッチャーにもいえます。メジャーリーグでは先発ピッチャーはいくら調子が良くても完投は狙いません。なぜなら完投することが「アカンタビリティ」ではないからです。先発ピッチャーは「100球までの投球において最少失点に抑えること」が期待されています。その後は、中継ぎ、押さえといった別の役割を担っているリリーフのピッチャーに任せればよいわけです。メジャーリーグでは、こうした「アカンタビリティ」を明らかにした上で、その役割の違いに応じた評価を行っています。
このようにアカンタビリティとは、コンピテンシーに基づいた活動によって、どのような貢献を組織や顧客に対してするのかを明確に表したものをいいます。これまでの日本の人事制度でも、職務記述書などでどういった行動をとればよいかが示されていました。しかし、その内容のほとんどは抽象的で、それがどういった成果に結びつくのか、何の役に立つのか、どういったパフォーマンスを生み出すのかは明らかにされていませんでした。コンピテンシーを実効性の高いものとするには、このアカンタビリティを明らかにすることが不可欠といえます。

コンピテンシーをどのようにして明らかにするのか

(1) ハイパフォーマーのもつ特性を明らかにする
コンピテンシーについては様々な人、団体が様々な定義をしています。その中でも共通しているのは、組織の中で継続して高い成果を上げている人、つまり、ハイパフォーマーがもっているものとしてコンピテンシーを捉えていることです。つまり、コンピテンシーを明らかにしていく際には、上が考え、押しつけるものではなく、現場主義で行うことが大切になります。「なんとなくこういう能力が大切ではないか」と現場から離れた一部のスタッフが主観的に考えたものをコンピテンシーとするのは、現場で使えないものになりがちであるといえます。
(2) パフォーマンスを明らかにする
コンピテンシーを明らかにするには、高いパフォーマンスとは何かの定義が不可欠になります。たとえその時点でのパフォーマンスが高くても、組織の戦略と一致していなくては意味のないものとなってしまいます。またある人が、たまたま高いパフォーマンスを出しただけで、それが継続しないものであったら、その人をハイパフォーマーと位置づけることはできません。つまり、コンピテンシーを定める際には、組織にとってのパフォーマンスをしっかり定義するとともに、それが定常的に発揮されているのか、将来を見越して組織の戦略やビジョンと矛盾がないかどうかを確認していく必要もあります。
(3) 科学的手法を用いる
また、仮にハイパフォーマーを特定できても、その特性がその人だけに限られた固有のものであっては、それをいくら明らかにしても、コンピテンシーとして活用することはできません。そこで、コンピテンシーを明らかにする方法の1つとして考えられるのが、対象者全員もしくはハイパフォーマーを対象にしたアンケートによる行動特性調査を行い、その結果を解析し、コンピテンシーを明らかにする方法です。多変量解析の手法の1つである因子分析を用いれば、コンピテンシーモデルを作成することもできます。相関分析やクラスター分析を行うことで、各コンピテンシー間の関係やどのパフォーマンスにどのくらい影響があるのかを定量的な数値で表すこともできます。このアンケート調査とハイパフォーマーからのインタビューや協働作業によるコンピテンシーの洗い出しとを組み合わせることで、実証的で納得感の高いコンピテンシーを明らかにすることができます。

コンピテンシーは変化するもの

コンピテンシーは固定化したものではなく、変化するものであるといえます。たとえアカンタビリティに変わりはなくても、環境や状況が変化すれば、それに応じてコンピテンシーも変化します。
こういったコンピテンシーの変化を端的に示した例として、先に行われたサッカーのワールドカップ日本代表選手の選考が挙げられます。前代表監督である岡田武史氏は、代表選考の際に、これまでの日本のエースであり、日本のサッカーを支えてきた三浦和義選手を代表から外すという決断をしました。その時、岡田監督はその理由として「日本が予選で戦う3試合を想定した際に、カズ(三浦選手)を使う場面がなかった」と発言しました。この時、岡田監督が意図したことをコンピテンシーの視点から解釈をしてみましょう。岡田監督はワールドカップ本戦での対戦相手が決まると、コーチとともに徹底的に相手国を分析し、日本が勝利するための戦術、シナリオを組み立てました。そして、そこに求められる能力、特性を明らかにし、選手の選考に臨んだのです。つまり、試合に勝つというアカンタビリティに変わりがなくても、ワールドカップのアジア予選と本戦とでは戦う相手もそのレベルも異なります。そうなれば、当然求められるコンピテンシーも異なるということです。岡田監督は、いくら優秀で能力が高く、これまでの実績があっても、今回の試合におけるコンピテンシーに適さない選手は選考しないという決断をしました。監督のこういった姿勢は、日本のアジア予選突破の立役者の一人である北澤選手を、同じ理由で本戦のメンバーからはずしたことからもうかがえます。
ビジネス場面においても、状況が変わったら、これまでのコンピテンシーにとらわれることなく、新しい状況に適したものへと見直しをかけて、より実効性のあるものに手直ししていくことが必要といえます。

コンピテンシーに含まれるものは

米国では、知識と技能をコンピテンシーに含むという考え方は共通見解になってきました。また、人によっては訓練して開発することができないものは、コンピテンシーには含まないと提唱しています。したがってその場合は、行動スタイルや価値観はコンピテンシーには含まれません。コンピテンシーの研究者達は、マネジャーに共通するコンピテンシーや、コンサルタントに共通して必要とされるコンピテンシーなど、コンピテンシーのモデルを次々に発表しています。しかし、一般化すればするほど、現場の成果と直結する度合いが低くなり、本来のコンピテンシーのねらいと乖離してくる印象があります。
日本では、コンサルタントや研究者達が取り上げているコンピテンシーから、自社の実状に合ったものを選択するといった方法がよく使われています。しかし、その場合には、メニューの中から何となく選ぶといった感覚ではなく、どういった基準でコンピテンシーを選んだのか、選択の際の科学的な根拠をしっかりともっている必要があります。また、ハイパフォーマーのもっている暗黙知を形式知に置き換え、記述していく作業を入れないと、現場からは従来の能力評価との意味合いの差が、ほとんど理解されなくなってしまいます。
当社で長年、現場でのパフォーマンスと行動特性の相関を調べています。その中で明らかになったことは、営業や管理者では態度的な側面がもっともパフォーマンスと高い相関を示すということです。そこで、コンピテンシーに態度を含めたらどうかと考えています。日本では、以前から能力を知識・技能・態度の3つの側面に分けて考えていくのが一般的でしたが、この場合の態度とは、いわゆる執務態度のようなものが中心でした。一方、コンピテンシーとしての態度は幾分ニュアンスが異なります。具体的には、熱心度や一貫性といったようなもので、基本的に行動として記述できるものをさします。
また、日本ではコンピテンシーを考えていく場合に、知識を含めるのかどうかが各社の見解によって異なっています。コンピテンシーが成果に直結するものとして出てきたことを考えると、これまでの専門知識のように時代の変化によってすぐに陳腐化してしまうようなものを含めることは、それほど意味のないことだと考えてよいのかもしれません。W.M.マサー社の社長である大滝令嗣氏の著書『営業プロフェッショナル好業績の秘密』(ダイヤモンド社)では、知識だけではなく技能的な側面をもつハードスキルもコンピテンシーから除外して、仕事のスタイルや価値観、行動のパターンをソフトスキルとし、それをコンピテンシーの中心に据えています。


コンピテンシーを活用する

「暗黙知」を「形式知」へ

先述の通りコンピテンシーは、仕事で高い成果を上げている人=ハイパフォーマー固有の特性といえます。そして、通常ハイパフォーマーの特性は、特有の個人に属するものとして考えられることが多かったようです。コンピテンシーを活用する1つの目的として、このハイパフォーマーのもつ「暗黙知」を「形式知」化し、コーポレートナレッジを蓄積することがあげられます。現代社会におけるビジネスサイクルの変化の激しさや、複雑性の増加の度合いを考えると、ハイパフォーマーのみが成果を上げられる、ハ イパフォーマーのもっているナレッジを伝承できたとしてもその伝わるスピードが遅いというのでは、変化に対応することはできません。そこで、ハイパフォーマーのもっている行動特性をコンピテンシーという形で形式知化し、ナレッジとして活用できる体制を作ることが必要になります。こういったナレッジマネジメントの1つの方法として、コンピテンシーを形式知化し、現場に還元する、そしてまた、現場で新たな成果を生み出し、それを再び形式知化するといった形で更新し続けるシステムを作る ことがあげられます。コンピテンシーは、「暗黙知→形式知→暗黙知→形式知」というサイクルを繰り返しながらコーポレートナレッジを更新し続けるための具体的なツールといえるでしょう。

評価基準として活用する

従来、アセスメントの手法として中心を占めていたのが、ケーススタディを活用した行動観察法やインバスケットです。これらの方式は、対象者が与えられたケースに取り組む中で、どういった行動をとるかについてアセスメントを行おうというものです。この方法の利点は、あらかじめ設定した項目に従っているため測定がしやすく、どういった点が優れており、どういった点が劣っているかを分析的に明らかにすることができることです。しかし、ケースはあくまでも架空の状況であり、そこで観察される行動も1つの断面にすぎません。明らかになるのは、ある状況において観察された事実だけです。ここで問題となるのが、アセスメントで観察された事実と、多様な状況に遭遇する実際の現場における成果とに相関があるのかということです。悪くすると、「もっともらしく聞こえることを積極的に発言する人」が優秀であるとされてしまう危険があります。
こうした問題に対処するために、最近では新しいアセスメントの方法が注目されています。そのやり方では、本当に現場で成果を上げる力を見抜くためにコンピテンシーを活用しています。まず成果に結びつく行動、特性を明らかにして、コンピテンシーモデルを作成します。それから対象者の行動のみを一対一の個人インタビューで明確にしていき、それがコンピテンシーを満たすものであるかどうかでアセスメントを行っていきます。そうすれば、どういった考えをもっているかではなく、実際に成果に結びつく行動をいかにとったかによって評価をすることができます。その結果、単なる評論家タイプと実際に成果を上げる人を識別することも可能になります。
こうしたコンピテンシーの活用は、アセスメントにおけるケーススタディに替わるものとして位置づけられるだけではなく、先述のパフォーマンスにおける性能面を測定する1つの基準としての意味をもつものといえます。

能力開発・育成とパフォーマンスの連結

能力開発は、以前から企業における大きなテーマであり、これまでも様々な取り組みがなされてきました。しかし、せっかく苦労をして能力開発をしても、それが実際の仕事とリンクしていなければ、かけた時間も費用もすべて無駄になってしまいます。コンピテンシーが求められる要因の1つがここにあります。コンピテンシーは成果に直結する能力、行動特性を示すものなので、その開発はすなわちパフォーマンスの向上につながります。また、教育を受ける側も会社からの指示で教育を受けるのではなく、自分の仕事にどのように役に立つのかがわかれば、その取り組みも従来とは異なってくるでしょう。見方を変えると、コンピテンシーが明らかにされず、どうすればパフォーマンスを上げることができるのかわからないまま、実力主義的な人事制度を取り入れても、試合に勝つための方法を知らずに試合場に送り出されるのと同じことだといえます。コンピテンシーが明らかになっていれば、その能力を向上させることがそのままパフォーマンスの向上に直結します。あいまいで抽象的な能力を取り上げ、それを伸ばしたとしても成果に結びつくかどうかはわからないというこれまでの状態から解放されるわけです。
しかも、コンピテンシーでは能力の項目が明らかになっているだけではなく、それらの能力の水準も具体的な行動として明らかになっています。そのため、現状の能力レベルがどの水準にあるのかが本人も上司も把握しやすくなり、今後どこまでめざすかということもわかりやすくなります。能力開発・育成の目標設定も実のあるものになってくるわけです。そして、コンピテンシー水準を公開するとともにそのレベルを向上させるための研修を組み込めば、自分の評価基準が明示されると同時に、それを高めるための手段も用意されることになります。
ここまでコンピテンシーについて様々な考察をしてきました。コンピテンシーについてはその先駆けである米国でも複数の定義がなされ、その活用や定義について未だに定まったものはありません。日本でも徐々に注目を集め始めていますが、それを漠然として取り入れるだけでは大きな効果を上げることは期待できないでしょう。メンバーにも、これまでの取り組みのラベルの貼り直しといった程度の認識がなされて終わってしまいます。これからは人事制度の理念と人材開発の理念、そして現場の1人ひとりのアカンタビリティの認識とを1つのシステムとして一貫性をとっていく必要性があります。そうしないとどこかで矛盾が起き、制度としてうまく機能しなくなります。その全体のシステムをつなげていくレバレッジ(てこの作用)としてコンピテンシーを位置づけ、活用することが重要なのではないでしょうか。


コラム:ダイアログ(3)

先月号のコラムでは「仮説の保留」の重要性について述べました。しかし、それぞれ異なった価値観や人生観、あるいは、文化的背景をもっている人々が集まって話し合いをする場合に、仮に仮説の保留ができていなくとも、人数が少ないうちは、相手の神経を逆なでしないように気を配って、お互いの信頼を傷つけないようにうまく自分の言葉や行動を律していくことが可能である場合が多いようです。ところが、一般的に人数が20人を超えると、相互の価値観の関係が複雑になりすぎて、そのようなコントロールが利かなくなってくるといわれています。そういった中で、お互いの信頼を構築しながら話し合いを進めるために必要となるのが「仮説の保留」です。
私たちは、人数が増えて周囲との溝を埋めることができなくなり、自分の仮説に対立する行動や言葉に直面したときに、初めて自分のもっている仮説に気づきます。そのような意味から、ダイアログを行う人数は20~40人が適切であるといわれています(もちろん、いったんダイアログができるようになれば、1対1でも、あるいは1人の心の中でもダイアログを進めることができるといわれています)。

ダイアログの原型

そもそもダイアログは、昔から狩猟型の民族の間に伝わっていた話し合いの仕方と同じであるといわれています。長年、アメリカ=インディアンと生活を共にし、彼らの生活を調べた学者によると、狩猟民族は、20~40人という生活形態に適した人数の単位で共同生活をしているということです。そこでの話し合いはまさしくダイアログであり、その際のキーポイントとなるのが「仮説の保留」です。彼らは、夜、たき火を囲んで輪になって座り、さまざまなことを話し合います。話し合いの場にリーダーはおらず、皆の意見が、同じような重さで他の人々に受け止められます。長老に対しては、皆が敬意を抱いてはいても、だからといって、長老の意見のみが特に重視されるというわけではありません。1人が話しているときは、その話が終わるまで、誰かがそこに割って入るようなこともありません。つまり、皆が平等な立場に立ち、仮説を保留しながら話し合いを進めていくのです。そのうちに、自然に話し合いが始まったときと同じように、自然にそれは終わります。このような意識の共有化作業を常に行っているために、お互いがお互いのことをよく理解し、狩猟のようなグループ単位での行動においては、最低限の言葉の交換のみで、各自が全体の中での自分の役割をつかみ、すばらしいチーム=ワークが発揮されるのです。
『ダンス・ウイズ・ウルブズ』という映画の中に、インディアンたちが自分たちの世界に足を踏み入れてくる白人たちに対して、どのように対処すべきかを話し合う場面があります。それは状況的には、ダイアログというよりディスカッションというべき話し合いですが、ダイアログ的要素が非常に多く含まれた形で描写されています。話し合いの場にいた人々は、自分の意見に対しても周囲の意見に対しても仮説を保留し、発言している人の言葉をお互いによく聞き、1人の話が終わってから次の人が発言します。また、自分と対立する人の意見にも理解を示した上で、自分の意見を述べます。そして何よりも注目すべきことは、話し合いを続けるうちに、必ず最良の答えが出てくるだろうという、話し合いのプロセスそのものに対する信頼を皆がもっているということです。

子供の成長とダイアログ

今年の9月、米国のサンフランシスコで、ラーニング・オーガニゼーションに関する国際会議である「Systems Thiking in Action1998」が開催されました。そのセッションの1つで家庭や学校におけるダイアログの重要性が述べられました。家庭環境・学校環境と子供の成長の関係を調べているある外国の学者が最近発表した研究によると、親や先生が自らの仮説を保留せずに話し合いを進めてしまうことで、自分たちの気持ちや言葉が無視されたり、拒絶される環境で育った子供は、心の中に暴力的な傾向が育っていき、何らかのきっかけによって、それが表面化することが明らかになったそうです。しかも、子供本人でなく、子供が身近に感じる人がそのような待遇を受ける場合でも、その子供に同様の影響があることもわかっています。つまり、ダイアログの欠如が現代社会における暴力的傾向を助長する要因の1つとなっているのです。また、別のセッションでは『システム思考』や『ダイアログ』を導入している小学校の生徒たちの発表が行われましたが、そこでは、家庭や学校におけるダイアログは、授業に対する子供たちの参加性を高め、彼らの思考回路を自由にし、創造力を高めることが確認されていました。
このように仮説を保留して話し合いをしたり、ダイアログを行うということは、単にビジネスにおけるパフォーマンスの向上を目指すだけではなく、人間が本来もっていた信頼や創造性といったものを呼び覚ましてくれるものであるということができます。

HVDリポート
1998年10月1日発行
発行人 高間 邦男
発行所 株式会社ヒューマンバリュー

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