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HVDリポートVol2 No.2 1998年5月1日発行
コーチングのフィロソフィー
今日の組織において変革を行っていくということは、組織内部に新しい行動やシステム、文化を取り入れ、組織的な成果を上げることを意味します。ここで、新しい行動や文化を獲得するというのは、組織が学習をするということに他なりません。
新しい行動や文化、システムをつくりあげていくには、どういった方法論が必要なのかが、最近明らかになってきました。私たちがなじんできた従来のやり方は、まず目標を定め、しくみや構造をつくり、それをメンバーに知らしめるために伝達や教育を行い、実行されるようにマネジャーが働きかけるというものでした。これは、従来の学校教育と似たモデルです。しかし、このやり方では組織の変革効果は期待できません。実際の変革は、押しつけられるものではなく、まさに子供が自分で歩き方や話し方を学習するような現場のメンバーの間から自然発生的に起こるものです。目標やビジョンがメンバー間で共有されると、コミットメントの高いリーダーが行動を始めます。それを見た周りのメンバーが影響されて動き、メンバー間で創意工夫が始まり、知識や知恵が生み出されます。それが組織的なしくみや構造になっていくという流れです。
こういった動きを創り出すには、3つの条件が必要です。1つはメンバー個人の成果が高まるようになっていることです。これは成績だけではなく、能力や喜び、達成感なども含みます。2つ目は、組織のメンバー間のネットワークが形成されているということです。ここからメンバー間、上下間の信頼が生まれます。信頼がないと変革、つまり学習は起きにくくなります。3つ目は、組織の成果が高まっている状態であるということです。組織的な成果が高まらないと変革のサイクルは回り始めません。
こういったプロセスを組織に創造するために、今日ではいろいろなマネジメントの方法が生み出されています。
今日話題を呼んでいるコーチングもその1つといえます。コーチングを単なるコミュニケーションスキルのように捉えてしまうと、その意味を失ってしまう恐れがあります。そこで今回は、コーチングのフィロソフィーをご紹介したいと思います。ここで紹介する内容は、欧米で行われているコーチングのカンファレンスの最近の議論や、著作物から取り入れた考え方とプロセスを中心に私どもの見解を交えています。
現在コーチングは、パフォーマンスだけではなく、それを生み出す能力そのものを高める手法として世界中で注目を集めています。今回のリポートでは、そのコーチングを取り上げ、その考え方と基本的なプロセスを紹介していきます。
なぜコーチングが注目を集めているのか
コーチングという言葉自体は古くからありますが、今日求められているコーチングの考え方は、その背景にある基本的な思想が従来のものとは大きく異なっています。ここでは、コーチングがどういったものかを理解する前に、なぜコーチングがビジネスの現場で注目を浴びているのか、その背景を、以前このリポートでも紹介した、マネジメント全体の変化の潮流の中に位置づけて考えてみます。
マネジメントの変化を表すキーワード
| 項目 | 過去のキーワード | 現在のキーワード |
|---|---|---|
| 変化のスピード | 遅い | 速い |
| 企業の資源 | ヒト・モノ・カネ | 知識 |
| 計画 | 計画通り進む 予測ができる |
計画通り進まない 予測ができない |
| 組織形態 | ピラミッド組織 | フラット組織、チーム型 自律型 |
| 組織構造 | 統制型組織 | 学習型組織 |
| マネジメント観 | 道具的人間観 | 人間そのものの価値 |
| マネジメントの方法 | 指示・命令 | エンパワーメント |
| コミュニケーション | ホイール型、上意下達 | ネットワーク型 |
| 問題解決の方法 | 正解がある | 正解がない |
| 育成 | トレーニング、ティーチング | ラーニング、コーチング |
copyright2000 HumanValue
現代は環境の変化が激しく、ビジネスサイクルも加速度的に短くなっています。しかし、それ以前の時代は変化の波がそれほど激しくなく、ビジネスサイクルも比較的長期でした。そういった時代は、計画通りに物事が進むことが多く、周りの誰かが正解を知っていたのです。そこでは、正解を知っている人がリーダーになり、指示命令で人を動かす「統制型組織」が最も効率的で、高い成果を上げることができたのです。組織の中では上意下達で指示・命令が下され、命令の通りに行動できるようにトレーニングが行われたのです。そこに流れるマネジメント観は「道具的人間観」でした。人は機械のように何かを生み出すための道具と捉えられていたのです。
しかし、現代では、変化が激しくビジネスサイクルは短くなっています。計画通りに仕事が進むことは少なく、体験したことのない出来事や変化に遭遇するため、誰も正解を知りません。そうした時代に、現在わかりうる最適解を見つけだすことができるのは、常に変化に直面している現場であるといえます。つまり、上からの指示・命令で組織を動かすのではなく、なるべく現場にエンパワーメントし、その中で学習しながら答えを見つけていく必要があるのです。こういった未知の状況に対応しなくてはならない組織にとって、重要な資源は知識や学習能力です。つまり、企業は常に学習し知識を生み出し続ける「学習型組織」にならざるを得ないのです。そこに流れる人間観は道具というよりも、自ら知識を生み出していく存在として、人間の価値そのものを認めるというものです。
コーチングが注目を浴びるのは、こうしたマネジメント観の変化に伴って、教育や人材育成に対する考え方が決まったやり方を教えるトレーニングやティーチングから、本人の主体的な選択によって自ら学習していくコーチングへと変化しているためです。
それでは、次にトレーニングとコーチングの違いについて触れながらコーチングとはどういうものかをみていきます。
コーチングとは何か
コーチングとトレーニングの違い
従来コーチング(Coaching)とは、「個人、または集団にスポーツのスキルを実地指導していくこと」という意味で使われるのが一般的でした。現在、コーチングとは何かということに関して、まだ一般的な定義は確立されていませんが、「パフォーマンスを向上させるために、コーチングを受ける対象者を勇気づけ、質問によって気づきを引き出し、本人の主体的取り組みによって問題解決や知識・スキルの習得・向上を図る方法」というような使われ方をしています。その中で1つはっきりしていることは、コーチングは、知識をもっている人がもっていない人に対して、一方的に教えるという、従来の教育者主体の教育法※の対極にある、学習者主体の学習法であるということです。コーチングは上から下ではなく横の関係で行われるものです。コーチングを受ける人は、常に自分で選択をする主体性を保持し、人から教えられるのではなく、自ら気づき学習していきます。
※トレーニングやティーチング:「上から下に行われる」「画一性が要求される」
コーチという言葉の語源はハンガリー北部のコークス(Kocs)という村の名前です。この村では、伝統的に自家用四輪馬車(Coach)が作られていました。最初は19世紀に当時の大学生が、家庭教師を意味する俗語として、この名前を採用したのだといわれます。当時の家庭教師は心から生徒の進歩を願い、個人の特性に応じた、実に行き届いた指導をしていました。そのため生徒は、家庭教師の自家用四輪馬車に乗せてもらって、目的地まで連れて行ってもらっているように感じたために、この名が使われたということです。
コーチングとトレーニングの違いをまとめると、次の表のようになります。
コーチングとトレーニングの違い
| 項目 | コーチング | トレーニング |
|---|---|---|
| 対象 | パフォーマンス・学習能力 | 知識、技能 |
| きっかけ | 本人の選択 | 本人の希望、周囲からの要求 |
| 時間 | 短時間でいつでも実施できる | あらかじめ時間を設定する |
| 関係 | 横から横、フラットな関係 | 上から下、専門家と素人 |
| 前提条件 | 本人の主体性と学習性を高めた方が成果が高い場合 | 決まった型を習得してもらった方が成果が高い場合 |
| 結果 | パフォーマンスの向上 本人の気づき、成長 |
技術、知識の習得 |
| プロセス | 本人に適した型を探求する | あらかじめ決められた型にはめる |
| 成長の要因 | 本人の認知により障害を取り除き力を引き出す | 知識、やり方を教え、反復練習する |
| コミュニケーション | 相手の話を聴く | こちらの考え、正解を教える |
| 質問の仕方 | 質問をして気づきを促す | 理解できているかどうか質問で確認する |
| 評価 | 本人が評価する | トレーナーが評価する |
copyright2000 HumanValue
なぜコーチングが成果を生み出すのか
現在のビジネス社会にいる私たちは、「結果を出す」というサバイバル・ゲームに追われ続けています。そして、このゲームに勝つための条件は厳しくなる一方です。こうした過酷なサバイバル・ゲームの中で、単に結果だけを求める組織は、結果を出せなくなるのではないかという不安と常に戦い続け、いつかはゲームに破れ、取り残されてしまいます。そうした状況に勝ち残るには、結果を出し続ける一方で、結果を出す能力を高めていくことのできる組織(学習型組織)になる必要があると言われています。ハーバード大学のショーシャナ・ズボフはこれを「今日の組織は、知識を拡大し続ける必要があるので、学習する組織にならざるを得ない。生産的活動の中心には学習がある。単純に言えば、学習は労働の新しい形式である」と評しています。
そして、結果を残しながら各自の成果を生み出す力を伸ばすことができる具体的な手法がコーチングだと言われているのです。
それでは、なぜ学習型組織やコーチングが、成果と共にそれを生み出す力も伸ばすことができるのでしょうか。ここで、「学習」ということについて少し考えてみたいと思います。これまで、「学習」という言葉は、「教わることによる能力の向上や情報の蓄積」という意味で語られることが多かったのではないでしょうか。しかし、考えてみればわかることですが、私たちは、歩くことや自転車に乗ること、話をすることを自然に身につけることができます。つまり、生まれながらにして、経験を通じて自発的に学習する機能・能力を備えているのです。そして人間には、この機能・能力そのものを高める能力までも備わっています。さらに、もう1つ見過ごしてはならない重要な点は、この自発的学習には喜びが伴うということです。
そのため、学習型組織やコーチングでは、学習が促進されることにより成果が高まる一方で、組織に働く人々の喜びも増大し、それが学習とパフォーマンスに対するモチベーションの向上につながり、さらなる学習と成果、喜びの高まりが生まれるという好循環が回り始めるのです。こうした好循環が回り始めることによって、結果が生まれ、そして結果を生み出す能力自体も高まっていくのです。
こうした好循環を回すために、コーチングが有効であることは、スポーツの世界では比較的早くから明らかになっていました。スポーツにおけるコーチングでは、プレーヤーにスキルを教えなくても、コーチはプレーヤーが自ら気づき学べるような適切な環境づくりをするだけで、プレーヤーが自然に必要なスキルを身につけていくことが明らかになっています。さらに、こうした場合には、コーチがスキルを教える場合と比較すると、驚くほど短時間で、スキルが習得できることも明らかになっています。
こうした発見をきっかけとして、コーチが教えることとプレーヤーが学ぶことの関係の見直しが始まりました。そして、「相手の中に主体的学習が起きるための環境を生み出す手法」として、新しいコーチング手法が開発されていったのです。その後、この新しいコーチング手法は、ビジネスの世界でも目覚ましい力を発揮することが実証され、スポーツやビジネスのみならず、教育や子育て、医療、音楽等々、幅広い分野で導入されるようになっています。
研修だけでは限界がある
組織の中で成果を生み出すために、メンバーに対して研修を行うという方法はどの組織でも行われているでしょう。下図は、そうした研修の効果を測定するためのモデルです。
研修の効果を考える5つのレベル

この図は研修の成果のレベルを表しています。レベル1は反応レベルです。これは、受講者から「研修を受けてよかった」「おもしろかった」といった反応を得ることができるレベルです。レベル2は理解レベルです。「おもしろかった」だけではなく、「よく理解できた」「わかった」というレベルです。レベル3は実行レベルです。わかったことを実際に現場で実行したというレベルです。レベル4は成果レベルです。現場で実行し、成果を上げたということです。たとえば営業ならば、売上や利益といった最終的な結果には結びつかなくても、提案件数や有効面談率が増えたといったプロセスパフォーマンスが上がったというレベルです。そして、レベル5はROIレベルです。ROI(Return of Investment)とは「投資効率」のことですが、研修という投資に見合った成果を上げたというレベルです。
レベル1からレベル2までは、通常の研修でもなんとか到達できる範囲です。しかし、レベル3の「現場で実行する」以降を実現していくためには、現場でのマン・ツー・マンに近いコーチングが不可欠なのです。
基本的にコーチングは、信頼関係を基盤としたパートナーシップであり、人間本来の自然な特性を大切にすればするほど、効果の高まる手法です。そのため、ビジネスにおいても、コーチングが浸透した組織は、活性化し、コミュニケーションの風通しもよくなります。そうしてメンバー同士の創発的な関係が生まれて、チーム全体の業績が高まることが知られています。
コーチングのフィロソフィー(哲学)
コーチングは単なるマネジメント手法の流行の1つではなく、マネジメントの大きな変革の潮流の中で捉える必要があることは、これまで述べた通りです。コーチング自体を考える際にも、その根底にある基本的な考え方、理念、思想を理解する必要があります。そういったものをコーチングのフィロソフィーと呼んでいます。コーチングには、こうしなければいけないというやり方は明確に定まっていません。それぞれコーチとなる人が、実践の中でトライ&エラーを繰り返しながら、自分に合った、そして自分の置かれた状況に適したコーチングのやり方を身につけていくのです。コーチングでは、決められたプロセスを単純に回すことができれば、誰でもそれなりの成果を出すことができると言われています。しかし、ここで難しいのは、コーチングのフィロソフィーを体現するということです。換言すれば、コーチングのフィロソフィーに基づいてコーチングを行えば、それほど悪い結果にはならないということです。
ここでは、コーチングのフィロソフィーについて紹介します。
人を成長させることはできない
コーチングのフィロソフィーの1つ目は、「人を成長させることはできない。できるのは成長のための手助けだ」という考え方です。ガリレオは「人を教えることはできない。ただ自悟させることを手助けするにすぎない」と言っていますが、これがまさしくコーチングのフィロソフィーに当てはまるものです。コーチングのフィロソフィーでは、コーチングを受ける人を、しばしば樹木の種子にたとえます。つまり、種子がどのような樹木になるのかはその種子に内包されているのであり、決して外からの力でどんな樹木になるのかを決めることはできないということです。コーチができるのは、その人らしい樹木になり、花を咲かせることができるように、適切な時期に水を与えたり、肥料をあげることだけなのです。
人間の可能性を信じる(コーチが決めつけない)
私たちは、スポーツが苦手な人を見ると「この人は生まれつき運動神経が鈍いのだろう」という仮説を立てることがあります。そして、この仮説の真偽を確かめようともせずに、それを事実だと考えて「運動神経が鈍いのだから、いくら練習をしても上達しない」と思い込み、仮説の上にさらなる仮説を構築してしまうのです。そして、このさらなる仮説も事実と決めつけ、そこから様々な判断を下してしまうのです。
こうしたことに限らず、「仕事ができる」「頭が悪い」など、私たちの周りでは、個人やチームの優劣を決める思い込みが数多くあります。こうした思い込みが人間の可能性を限定してしまうのです。コーチングのフィロソフィーでは、こうした決めつけを廃し、人間の可能性を信じることが必要になります。
たとえば、マネジャーが「上の人が指示命令するなどして管理をしないと、下の人間はうまく仕事ができない」という仮説をもっていたとします。すると、そのマネジャーは無意識のうちに、細かく指示を出し、部下の行動を統制しようとします。こうした行動を取ると、部下はマネジャーが自分に不信感をもち、見張っていると思い、自分の可能性を狭められてしまったような感覚をもちます。すると、上司の命令通りに行動することにも抵抗を覚えるかもしれません。コーチングのフィロソフィーでは、相手の可能性を信じ「自分は、価値ある人間として尊重されていて、自分の望む方向に自分で動く力をもっている」と実感してもらうことが必要になります。
コーチに求められるもの
誘導型コーチングと認知型コーチング
コーチングの考え方には大きく言って2つのものがあります。
1.誘導型コーチング
1つは誘導型のコーチングです。これは、対象となっている領域についての専門知識やスキルを、コーチが有していることが前提となります。もちろん、すべてにおいて対象者よりも優れている必要はありませんが、客観的に良し悪しを判断したり、最適解を導くためのモデルをもっている必要があります。このモデルに沿ってコーチは質問をし、対象者の気づきを引き出そうとします。
そして、モデルへの適応度合いに応じてコーチから対象者にフィードバックが行われ、コーチは徐々に自分のもっているモデルへと対象者を誘導していきます。誘導型コーチングを行った場合は、コーチのレベルによって生み出される成果が異なってきます。対象者はコーチが設定したレベルまでは、比較的短期間に到達できるかもしれませんが、自分で新しいやり方を生み出したり、プロセスを改善していくといった側面はそれほど強化されません。
2.認知型コーチング
もう1つは、認知型のコーチングです。これはコーチが正しい答えへと導くのではなく、対象者が自分で気づけば、自然に行動が変化してくるという考え方がベースになっています。そこでコーチは、対象者自身が気づくように質問を行っていきます。したがって、コーチは対象領域についての専門家である必要はありません。また、対象者自身が自分で気づきながら学習していくプロセスを踏むので、1つの領域での学習が他の領域へと転移していくといったことが起こります。認知型コーチングは、答えを教えたり、正解へと導いたりしませんので、一見時間がかかるように思えますが、本人の人間的な成長が促されますので、学習の成果が継続する場合が多いのが特徴です。
「なぜコーチングが注目を浴びているのか」でも述べたように、今日ではコーチとなる先輩や上司が、相手よりも高い専門性を有していたり、スキルをもっている場合は少なくなっています。そういった意味では誘導型のコーチングが成立する条件は厳しくなっているのです。また、上から下への誘導型のコーチングでは部下の自律性を引き出すことも難しく、今後は認知型のコーチングが主流になってくると思われます。
教えたいという欲求を抑える
コーチにとって、先述のようなコーチングのフィロソフィーを実現することは簡単ではありません。その主因となっているのが、コーチの「教えたい」という欲求の克服が難しいということです。これはコーチにとって「自分自身との闘い」といえるものです。
認知型のコーチングを行っていると、対象者の成果が目に見えてすぐに上がらないといった状況に遭遇します。コーチからすると学習が進まないことにいらついて、自分のコーチングのやり方については振り返りもせずに、「こうしたらどうか」「あれについては考えたのか」というように、答えを与えてしまったり、誘導するような質問をしてしまうといったことが起こります。答えを与えてしまうと、一時的に成果が表れますが、徐々にコーチングのプロセスから逸脱し、ティーチングを行うようになってしまいます。すると、学習の成果が継続しないだけでなく、コーチへの依存を助長させてしまうことにもつながります。
コーチはジャッジをしない
人は誰でも失敗を回避したり、自分の欠点を正視したくない、人から拒絶されたくない、否定的な評価をされたくないという感情を少なからずもっています。しかし、マネジャーが部下を指導したり、マネジメントを行おうとすると、そうした人間がもつ性向のことは忘れ、自分の価値観を法律として裁判官のように人をジャッジしたりします。周囲の人々によるこうしたジャッジは小さい子供の頃から始まり、大人になって企業に入ってからも繰り返し行われます。そうしたジャッジの繰り返しが、「なぜ?」を連発して、好奇心と学習意欲の塊だった子供に対して、学習に対する抵抗感を植え付け、勉強嫌い、学習嫌いにしてしまうのです。ジャッジをすると学習に対する抵抗感を育てるだけではなく、相手の自律性、自主性が阻害されるという側面をもっています。
また、コーチが相手に不用意に答えを与えてしまったり、コーチ自らが問題解決を実践してしまうことがあります。こうした、一見、相手のために良かれと思ってやっている行動の背景には、「このままではできない」「こうしたやり方がよいのだ」というコーチの価値観とジャッジがあります。そうしたコーチのジャッジは、相手の成長する機会を妨げる場合があります。本当の自信、力というものは、自分自身で状況を切り開いたり、問題を解決したりすることによって身につきます。コーチのジャッジはこうした相手の成長や自信が育つことを妨げてしまうのです。
「学習」というと教室での座学をイメージしたり、教師やコーチ、上司に教えられた通りのことを覚える、もしくはできるようになるといったことをイメージする人が少なくありません。これは小さい頃から始まり、企業に入ってからも繰り返し行われる周囲からのジャッジの影響が少なくないのではないでしょうか。
人は、誰かに教わらなくても生まれつき備わった学習能力をもっています。コーチングのフィロソフィーでも述べたように、コーチはジャッジをするのではなく、相手に本来備わっている学習能力が自然に発揮されるような環境を整えることが必要になってくるのです。
専門知識は必要ない
先述のように認知型コーチングでは、対象領域について専門知識やスキルをもたなくてもコーチングを行うことは可能です。コーチは、対象者の中からフォーカスするポイントを見つけて、それを示すだけでよいのです。
それでは専門性のない領域で具体的にどのようにコーチングを行うのか、コーチングの世界的権威であるティモシー・ゴールウェイがオーケストラに対して行ったコーチングの例を紹介します。これは、コーチに対象領域の専門性が必要かどうかについて、ゴールウェイに直接伺ったときに聞いた話です。
ゴールウェイは、特に音楽の専門的なトレーニングを受けた経験はありませんでした。そんな彼が、演奏を一度も聴いたことのないチューバ奏者のコーチングをすることになりました。最初にゴールウェイは、チューバ奏者に対して「あなたが一番難しいと感じていることはなんですか」と尋ねました。チューバ奏者からは、「高音部のアーティキュレーションです」という答えが返ってきました。ゴールウェイは、「アーティキュレーション」とは何かということももちろん知りませんでしたが、本人が難しいと感じている部分を実際に演奏してもらいました。彼には、その演奏がうまくいったのかどうかは、まったくわからなかったのですが、チューバ奏者の表情を見れば、それがうまくいかなかったのは明らかでした。
そこで、ゴールウェイは「演奏をしてみて、どんなことに気づきましたか」と尋ねました。チューバ奏者からは「きれいにできなかった」という返事が返ってきました。続けて「どうしてそれがわかるのですか」と尋ねると、「チューバの朝顔(音の出口のラッパ状の部分)は耳から離れているので、実際に音を聞くわけではありません。私は舌でそれを感じることができるのです。」という答えが返ってきました。続けて「うまく演奏できないとき、舌がどうなるのですか?」と彼が尋ねると「舌が乾いて厚めに感じるのです」という答えが返ってきました。
そこで、ゴールウェイは、「もう一度、同じ所を演奏してください。ただし、今度は、きれいにアーティキュレーションをしようという努力はせずに、舌の湿り具合がどう変化するかだけに注意してほしいのです」と言いました。2回目の演奏を聴いても、ゴールウェイ自身は2つの演奏の違いがわからなかったそうです。しかし、オーケーストラのメンバーは、全員がスタンディングオベーションを送ったのです。そして、ゴールウェイが再び「どんなことに気づきましたか?」と尋ねると、チューバ奏者は「今度は、演奏していた間ずっと舌が湿ったままでした。そして、一度も厚く感じることはありませんでした」と答えました。
ゴールウェイは、このように対象領域についての専門知識がなくてもコーチングを成功させたわけです。彼が行ったのは、対象者の話を聞いて、その中からフォーカスすべきポイントを探り出すことです。そして対象者をそこにフォーカスさせることで、うまくやろうという意識を取り除き、それがコーチングを成功に導いたのです。
コーチングを受ける人の意識改革も必要
コーチングを成功させるにはコーチだけではなく、コーチングを受ける側の意識を変えることも必要です。企業の中では、「仕事ができない人間がコーチングを受ける」という意識をもっている人も少なくありません。スポーツの世界を見てみると、プロ選手には必ず優秀なコーチがついています。成績が悪いからコーチをつけるのではなく、よりよい成績を上げるためにコーチをつけているのです。ビジネスの世界でも「できないからコーチをつける」のではなく、「能力を最大限に発揮するためにコーチが必要」というように意識の転換を図る必要があります。
また、日本の企業では、「質問は、わからないことを聞いたり、一緒になって考えるために行うのではなく、うまくやっているかどうかを確かめるために行うもの」という認識を、無意識のうちにもっている場合が多いのです。そうした認識が組織の文化になってしまうと、コーチングを行おうとして質問をしても、正解を答えなくてはならないという、実際にはない圧力を感じて、詰問され、追いつめられているように感じてしまいがちです。そうすると、コーチに正解を聞きたがったり、自分では考えようとせず、コーチに受け入れられそうな答えを探そうとします。
また、逆に上司が当たり前のことを質問をしたりすると、意思決定もできない上司として軽蔑してしまうということも起こります。
コーチがコーチングのフィロソフィーに基づいて意識を変える必要があると同時に、コーチングを受ける側もこうした意識から脱却する必要があるのです。
コーチングのプロセス
コーチングは、日常のコミュニケーションやセールスの同行指導、評価面談など様々な場面で活用することができます。いずれの場合も大切なのは、コーチングのフィロソフィーを実践すること、そしてコーチングの基本的プロセスに沿って展開することです。次に、私どもが提案しているコーチングのプロセスを紹介します。
コーチングのプロセスは、図にあるように1.準備、2.セットアップ会話、3.体験、4.振り返りの4つです。この4つは連続して行われるもので、明確な区切りがあるわけではありません。大切なことは、コーチングのプロセスを意識して、コーチングの中に取り組んでいくことです。それでは順を追ってコーチングのプロセスを紹介します。

1.準備
コーチングに入る前の準備として考えておくべきことは
1. コーチングの目的の仮説検討
2. 対象者の立場に立つ
です。
1つ目に、コーチングの目的の仮説、そして対象者のもっている問題とその解決策の仮説を検討します。この仮説は、1つの答えとして狭い範囲に限定してしまうのではなく、幅をもたせるようにします。また、コーチングの場面でその仮説に縛られ、対象者の自発的発見を妨げるようなことがないように注意します。
2つ目は、コーチングの対象者が何を感じ、何を考え、どうしたいと思っているかを対象者の立場に立って考えてみます。ここでは、相手の状況を正確に知ることがねらいではなく、相手の立場に立って考えることで、コーチと対象者の感じ方の差異の幅がどのくらいあり得るのかを押さえることによって、相手との接点を見つけるようにします。
2.セットアップ会話
セットアップ会話では、3つ目のプロセスである体験に入る前に、対象者が何を学習したいのか、また、どこに注意をフォーカスするのかを明確にします。ここでは、体験はパフォーマンスを上げるために行うというよりはむしろ、自分の学習目標を達成するための機会として捉えることができるように、体験に対する意識の転換を図ってもらうことがねらいです。
ここでは、目的(パフォーマンス目標の設定)、問題(学習目標)の特定、フォーカス、アクションプランの4つを明確にします。
1)目的(パフォーマンス目標の設定)
目的とは、行動の結果生み出される成果、出来映えのことです。つまり、パフォーマンスの側面から見た目標(パフォーマンス目標)を設定することです。コーチングを行うには、この目的を事前に明らかにすることが必要です。しかし、目的を明らかにしようとして質問をしても、多くの人はやることと目的を混同してしまいます。そこで、最初にこれからやることを明らかにします。その後、目的を尋ねるようにします。
2)問題の特定
「問題の特定」は成果を生み出すために注意しなければいけない点や改善すべき点を明らかにすることです。ここで特定した問題について、コーチングを通して学習していきます。つまり、ここで特定された問題が、学習目標になります。この問題を修正・改善するようにコーチングを行います。
ここでコーチが注意すべきことは、学習目標とパフォーマンス目標を混同しない、もしくは混同させないことです。
たとえば「チームワークを高めることを学びたい」というように問題を特定したとします。しかし、これは「チームワークを高める」というパフォーマンス目標に「学ぶ」をつけただけのものです。こういった場合には、どうしてチームワークが悪いのかをもう少し掘り下げる必要があります。そして、たとえば「チームワークが悪いと感じるのは、自分とメンバーのコミュニケーションの行き違いがあるからだ」ということがわかれば、「メンバーとのコミュニケーションの行き違いの原因を探る」が問題の特定になります。
私たちは、パフォーマンス目標を設定することには慣れていますが、学習目標を設定することには慣れていません。そこで仮に、この段階で対象者がパフォーマンス目標を設定した場合は、「なるほど、それはパフォーマンス目標ですね。では、その目標を達成するためにはどのような点を高めたらよいと思いますか?」というように尋ねるなどして、学習目標を明確にするようにします。
3)フォーカス
学習目標を達成するためには、どこにフォーカスを向け続けるとよりよい成果が生まれるのかを明らかにします。このことによって、対象者をフォーカスするポイントに集中させると共に、安心感を生み出します。
4)アクションプラン
フォーカスすべきポイントを踏まえて、実際にどのような行動を取るのかのイメージと手順を明らかにします。
3.体験
アクションプランを踏まえて、対象者に実際の行動(もしくはロールプレイング)を取ってもらいます。その際には、途中で指示を出したりしないようにします。コーチは対象者に影響を与えないのが原則です。対象者がコーチの顔色を見ながら行動したりすることがないように、コーチは配慮する必要があります。
4.振り返り
対象者自身が体験によって気づいたことやコーチの観察したことを振り返って、新たな発見をしたり、疑問点を確認する段階です。振り返りの原則は、対象者が自らを洞察することです。そのため、「まず対象者から」というルールを厳守して、コーチは一方的にコメントを述べたりするのではなく、質問によって対象者自らの振り返りを促進させるようにします。
振り返りによって、今後どういった行動を取るのかを対象者自身に選択してもらうようにします。
コーチングが好循環を生み出す
このリポートでは、組織の変革をもたらす新しいマネジメント手法としてのコーチングを紹介してきました。ここで組織に変革をもたらし好循環を生み出すモデルとしてMITのダニエルキム教授の「成功の循環モデル」を紹介します。
私たちは、組織の結果の質を高めようとすると、行動の質を高めようとします。しかし、行動の質は思考の質によって左右されます。この思考の質は、その組織のメンバーの関係の質によって左右されるのです。そこで、思考や関係の質を高めることによって、好循環が回り始め、行動や結果の質も高まっていくのです。

コーチングが生み出す好循環
コーチングはこうした成功の循環を生み出すことができるのです。
コーチングは、コーチとコーチングを受ける対象者の関係の質を改善することによって、思考の質を変え、行動の質と結果の質を高めることができる手法といえます。組織的にコーチング制度を導入し、コーチングのフィロソフィーを実行できれば、コーチと対象者の間に学習環境が高まるような関係が構築できると共に、メンバー同士の関係の質も高まり、そこから成長の好循環が回り始めるのです。
コーチングは、「対象者の意識を縛っているいくつかの要因から開放して、本人の望む目標に向けて、より自由に動ける力を回復すること」と言われています。
最後に、コーチングが生み出す好循環をもう少し具体的に見ていきます。
人がより自由に動くためには、見える選択肢の数を増やすことが必要です。コーチングのプロセスを回していくと、フォーカスするポイントが絞られ、うまくやらなくてはならないという雑念が消えて、今に対する集中力が高まります。そうすることによって、自分の心の中や周囲に起きていることが見えてきます。そして、自分にとっての選択肢が見えてきます。こうしなければいけないという縛りから意識が開放されるのに伴って、見える選択肢が0から1、そして1から2へと広がっていくのです。このような意識の解放は、自分の能力の発揮を妨げる雑念のない無心の状態を意味するものであり、自分自身への信頼から生まれます。
人は、選択肢が見えない状態ではエネルギーが生まれず、何もできなくなってしまいます。しかし、選択肢が見えると、エネルギーが生まれ、それによって行動が起こります。そして、その行動によって学習とパフォーマンスが生まれます。それがさらに、学習とアウェアネスを高め、さらに、行動力が高まり、選択肢が広がり、パフォーマンスが生み出されます。コーチングのプロセスを回すことで、こうした好循環が回り始めるのです。さらに、選択肢が見えてくると、それに対する自主的な選択が生まれ、それがコミットメントと責任を生み出します。そして、自主性や創造性が生まれるという好循環も生み出します。
このようにコーチングは、単なる育成の新しい手法というだけではなく、組織の学習性とパフォーマンスを高めるためのレバレッジとなるものであるということができるのです。
HVDリポート
1998年5月1日発行
発行人 高間 邦男
発行所 株式会社ヒューマンバリュー