System Thinking in Action 1999
'99システムシンキング・コンファレンスは、1999年11月1日~5日にかけて米国ジョージア州アトランタのヒルトンホテルで行われました。ヒューマンバリューは、'97年のオーランド、'98年のサンフランシスコに続いて、3回目の参加となります。'99年の参加人数は、大会開始一週間前の集計で5大陸33カ国730人に達していました。アジアからは8カ国26人で、日本からの参加者は3人でした。
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’99システムシンキング・コンファレンスの報告
コンファレンスの概要
コンファレンス全体を通じた特徴として挙げられる点は、(1)ナレッジの意味の明確化、(2)変革のレバレッジ、(3)『ダンス オブ チェンジ』の出版、(4)ラーニング・オーガニゼーション(学習する組織)の国際化とアジアでの展開、(5)変化のプロセスへの着目、の5つです。
次に5つの特徴それぞれについて見ていきます。
ナレッジの意味の明確化
1つめの特徴として、ナレッジに対する見解が明確になってきた点が挙げられます。
メイン・コンファレンスの前に、ラーニング・オーガニゼーション(学習する組織)の提唱者であり、SoL(Society for Organizational Learning:組織学習協会)の理事長でもあるピーター・センゲとSoLのマネジング・ディレクターであるヨーン・カステッドによって『ナレッジ・マネジメントとラーニング・オーガニゼーションの統合』という2日間のミニ・コンファレンスが行われました。現在、多くの企業が、ナレッジ・マネジメントを推進するために、情報技術(IT)への多額の投資と、組織学習を推進するための投資を行っています。このミニ・コンファレンスは「この2つの投資への努力の統合がこれから取り組んでいくべき大きなテーマである」という観点から展開されました。
また、メイン・コンファレンスの基調講演でもセンゲは、「知識の普及に知識の生成を織り込む」というタイトルで、ナレッジの意味について語りました。そこでは、「ノウ・アバウト(~について知っている)」と「ノウ・ハウ(やり方を知っている)」の区別を明確化することの重要性が訴えられました。「知る」には、「ノウ・アバウト」と「ノウ・ハウ」の2つの意味があります。「ノウ・アバウト」とは、それについて情報をもっている、それを見聞きしたことがあるということを意味します。一方、「ノウ・ハウ」は、ある特定の領域における具体的スキルのことをさします。したがって、「ノウ・アバウト」だけでは効果的な結果が生み出されるとは限らないのです。こうした違いを踏まえて、ナレッジ・マネジメントが扱うのは、「ノウ・ハウ」であり「ノウ・アバウト」ではないことが強調されました。
また、日本でも注目を浴びているナレッジ・マネジメントについても、「ナレッジ・マネジメントというと、すぐにハードウェアやソフトウェア、アプリケーションへの投資と考える人がいるが、ナレッジとは『ノウ・ハウ』のことである」という考え方を示し、それが共通見解として認知されていました。そして、ナレッジ=知識を普及させる過程においても、知識を生み出していくことが必要であること、知識を生成するにはチームやコミュニティ、ネットワークが必要であり、経営者は、知識の生成と普及を促進するために、ネットワークやチームレベルでの組織学習を推進するためのプロセスを検討し、そのためのインフラの整備も必要であることを述べています。
これは、ナレッジ・マネジメントとITの推進、そして組織の学習を展開するための1つの方向性を見い出す答えであるといえるでしょう。
変革のレバレッジ
2つめの特徴として、変革のレバレッジは、外側の変化よりも我々の思考の枠組みの変化と、それに伴う人間同士の関係のあり方の変化にあることが、一層明確に示されるようになってきたことが挙げられます。同時に、5つのディシプリンの理論とツールは、ますます多くの実践事例や調査研究に支えられて、非常にしっかりした体系を形成するプロセスが進んでいます。「システム思考」や「ダイアログ」などの理論やツールも、驚くほどの広がりと深さをもったものになっています。
コンファレンスの中では、2日目に行われたセンゲの基調講演の中で、変革のレバレッジとして思考の枠組みを変えることで成功したクライスラー社の事例が紹介されました。ここでは、「左側の台詞(セリフ)」※という、クリス・アージリスの開発したツールが鍵になっています。
クライスラー社のあるプロジェクトでは、初期のスケジュール通りにできている部品は全体の45%しかなく、製品の完成が予定から大幅に遅れるという問題がありました。クライスラー社では、この問題を解決するために9カ月間に12回のミーティングを行いました。しかし、何度会合を重ねても、経理部長であった女性と企画部長がお互いに譲らず、硬直状態が続いたということです。経理部長は「この人たちは予算枠とか納期を守るという、規律を守る気持ちがないのかしら?」と思い、企画部長は「あの連中は数字しか頭にない」と考えていたのでした。そこで、何回目かの会合で、「左側の台詞」のワークショップを行い、お互いが以前より自分たちの考えていることを、それほど興奮しない形で正直に口にすることができるようになり、皆が協力してこのプロジェクトのシステム図を描きました。
そして、システム図を描くことで、部品のスケジュールを遅らせているいくつもの要因を発見することができたのです。そのシステム図を見て、プロセス全体のレバレッジを指摘したのは経理部長でした。彼女は、部品がスケジュール通りにできあがっていないことを報告するまでの遅れが、レバレッジとなっていることに気づいたのです。技術者たちの間では、自分たちが直面している問題について話し合うものの、他の部門や上司には、できるだけそれを隠そうとする傾向がありました。それが、スケジュールの遅れを報告することを遅らせていたのです。そこから明らかになったのは、部門間の個別意識を取り除いて、皆が同じプロジェクトに携わっているというチーム意識が生まれれば、1つの部門の問題はチーム全体の問題であるという認識ができて、もっと正直に、できるだけ早く問題を報告しようとするようになるということです。「製品の完成の遅れ」という、一見技術上の問題のように見えるものでも、その多くは人間の問題である場合が多いのです。
これは、問題のレバレッジを人間同士の関係の中に見つけ、システム思考というディシプリンと「左側の台詞」というツールを用い、問題を解決へと導いた例です。このセッションの最後にセンゲは、「ここからわかることは、問題は解決されるのではなく、『我々は、自分たち自身に対して何ということをしていたのだ!』という気づきによって、解消されるのだ。」と言っています。
※言葉のやり取りにおける「言葉に表現されない部分」の認識を深め、会話の改善点を発見する手法で髪の右半分に実際に起こった会話を、左半分に口に出せなかった想いや感情を「左側の台詞」として書く
変革の道しるべ─『ダンス オブ チェンジ』の出版
3つめの特徴に、様々な組織変革の事例を踏まえた、「変革の道しるべ」ともいえる『ダンス オブ チェンジ』が出版されたことが挙げられます。これは、先に世界で出版されている『ラーニング・オーガニゼーションのフィールドブック』(日本では未訳)の2冊目の書籍であり、変革の初期・維持期・再設計期に組織が直面しがちな10の課題を中心にまとめられています。そこには、ラーニング・オーガニゼーション(学習する組織)に基づいた変革努力においては、個人の充実感、チームの活性化、業績の向上という3つの拡張循環を回すことと、ラーニング・オーガニゼーションを実現するプロセスに関して、組織上層部が十分に理解していることが必要であることも示されています。そして、ピーター・センゲは、『ダンス オブ チェンジ』に対して「メルカトールが、未熟な表現法であったとはいえ、初めて全世界を1枚の地図に収めたように、我々はこの本によって、組織変化というプロセスの全体像を、たとえゆがんだ形であれ、初めて1枚のマップに納め得たと感じている。」と評し、『ダンス オブ チェンジ』がラーニング・オーガニゼーションについて学ぶための基準となる書籍であることを示し ています。
ラーニング・オーガニゼーション(学習する組織)の国際的な広がりとアジアでの展開
4つめの特徴としては、システムシンキング・コンファレンスの参加者の国際性が毎年高まっていると同時に、ラーニング・オーガニゼーションも国際的な広がりをみせていること、特にアジアでの展開が活発になっていることが挙げられます。
今回のコンファレンスでは、SoLのダニエル・キムとダイアン・コーリーから、ラーニング・オーガニゼーションに関する指導を受けているシンガポール警察が、フォーラムでプレゼンテーションを行いました。セッションでは、オックスフォード大学とハーバード大学で学位を取得したシンガポール警察本部長のクー・ブー・フイと、その部下である4人の警察官が、プレゼンテ-ションを担当しました。
シンガポール警察は、MITのダニエル・キム教授とペガサス社のダイアン・コーリー女史を定期的に講師に招いて、組織を挙げてラーニング・オーガニゼーションに取り組みました。その結果、組織学習についての様々なツールを用い、関係者の間に共有ビジョンをつくることに成功したのです。そして、市民とのパートナーシップの構築や中央部から最前線に至るまでのエンパワーメントを実施し、警察の民主化や民間の協力態勢が高まったり、システム思考を活用することで犯罪率を低下させるなど大きな成果を上げました。
さらに、シンガポール警察は、年4回、組織学習フォーラムを企画しました。その後、シンガポールの文部省、大蔵省などの政府機関、大学、銀行等も、その動きに刺激されてラーニング・オーガニゼーションを取り入れ始めたそうです。シンガポール警察の一歩が、シンガポールの行政体全体の中にラーニング・コミュニティをつくることにつながったのです。
このシンガポール警察の例以外にも、インテル社の副社長デイヴィッド・マーシングが、マレーシア、フィリピン、上海におけるインテルの成功事例を中心とした基調講演を行うなど、アジアにおけるラーニング・オーガニゼーションの着実な進展の足取りが紹介されました。
変化のプロセスへの着目
最後にシステムシンキング・コンファレンス全体から読み取れる特徴として、成長や変化に対する人々認識の変化が挙げられます。
これまでは、あたかも変化という名前の自動車を、チェンジエージェントと呼ばれる人間たちが運転するかのごとく、「変化を引き起こす」「変化を方向づける」という言い方が使われ、自分たちが望むような結果が生まれたら、それを成功と呼ぶ傾向が一般的でした。これは、先に挙げた’99ASTDの特徴である、パフォーマンスおよびその評価への注目ともつながるもので、変化の中でも特に成果、つまり成功に至った結果を生み出した変化のみに着目するものでした。
しかし、’99年のシステムシンキング・コンファレンスでは、パフォーマンスだけに注目してそのプロセスとそこで起きる学習を忘れてしまっては、期待した成果を上げることができないといったことが理解されるようになりました。最近では、変化のプロセスをより有機的、生物学的に捉える傾向が顕著になってきています。それは、「植物の種の中には既に変化(成長)の能力が備わっていて、人間の仕事とは、植物の成長を阻害する要因を取り除き、促進する諸要因(水・日光・温度・養分等)を確保してあげることでしかない。個人や組織の学習能力、変化成長の能力もそれと同じである。」という考え方に基づくものです。我々の仕事は、もともと個人や組織に備わっている力が発現するのを手助けすることであって、それは、無機物の機械を運転・操作することよりも、植物や動物などの生き物を育てることや、子育てなどに似たプロセスであるという認識が定着しつつあるといえます。
学習とパフォーマンスのはざまで
2つのコンファレンスを通して、パフォーマンスとその評価、人材開発におけるWBTの活用、ラーニング・オーガニゼーションの進展といった3つの特徴を見てきました。この3つはややもすると相反する事象であるかのような印象を与えるかもしれません。しかし、『ビジョナリーカンパニー』(1995年:日経BP出版センター刊)の著者であるコリンズとポラスが、調査で明らかにしたように、多くの先進企業は、一方で企業の利益を越えて自分たちの理念やビジョンを実現する熱意をもちながら、もう一方では、企業としてのビジネス、利潤を追求するといった一見相反する2つの側面をもっています。これと同じように、我々が抱えている「パフォーマンスの追求」と「ラーニング・オーガニゼーション、組織学習」、「IT」と「人間の関係性」といったそれぞれが相反するように見える問題についても、どちらがよいかといった問題ではなく両者のバランスを取りながら進んでいく必要があるといえるのではないでしょうか。
パフォーマンスに着目し、トレーニング等についてもその評価をしっかり行うことは必要不可欠なことです。しかし、同時にそのプロセスに着目し、相互の学習性を高めていくことも同様に欠くべからざることなのです。2000年はそうした要因を具体的に取り込んでいく組織変革のプロセスが一層明らかになっていく年といった見方ができるのではないでしょうか。
「HVDリポート Vol2 No.1(2000年1月1日発行)」より抜粋