ヒューマンバリュー40周年に寄せて〜波の向こうに構造を見た日〜

本コラムは、ヒューマンバリュー創立40周年を機に、執筆者(川口)がこれまでの歩みと探究をふり返りながら、組織開発の原点と未来への思いをまとめたものです。個人的なまなざしを通して、ヒューマンバリューの40年に寄せるメッセージとして記しました。
株式会社ヒューマンバリュー 川口 大輔
ふとした瞬間に、約25年前私が初めて「システム思考」に出会ったときのことを思い出すことがあります。
当時、私は大学院で機械工学を専攻し、制御工学の授業を受けていました。
オシロスコープを通して振動や応答の波形に潜むリズムや法則を読み取る。複雑に見える波も、フーリエ解析を通じて単純な正弦波の組み合わせとして理解できる――その事実に触れたとき、“目に見える現象の裏に構造がある”という感覚が芽生え、世界が少し立体的に見えた気がしました。
そんなとき、とあるご縁からヒューマンバリューでアルバイトをすることになりました。
ヒューマンバリューが海外で購入してきた「iThink」というソフトウェア。
社会や組織の動きを、因果ループやストック&フローで可視化できるツールです。
アルバイトとしての私のミッションは、当時のヒューマンバリューのメンバーにそのソフトの使い方を教えること。
アルバイトに取り組むうちにふと思ったのは、「これは、まるで人や社会を対象にした制御工学だ」ということでした。
パターングラフから背後の構造を推測する感覚――
それは、複雑な波形をフーリエ解析で分解し、隠れた成分を読み取るプロセスによく似ていました。そして、人や組織、社会の動きもまた“システム”として捉えられるなら、世界をより良い方向に動かすことができるのではないか――。
そんな直感に心が大きく揺さぶられました。
後に知ったことですが、システム思考の祖ジェイ・フォレスターも、もとはMITでサーボ機構やフィードバック理論の世界にいたエンジニアだったとのことです。そこで培われた フィードバックを見る眼差しを、企業や社会といったより大きなシステムに応用し、システムダイナミクスを生み出したといわれています。
技術から社会へ、制御から学習へ――
その連続性の中にシステム思考を見出した彼の歩みに深い共感を覚え、学生時代には彼の著書『Business Dynamics』を読み込みながら、現実社会にモデルをどう適用できるのか、夢中で探求していました。
ただ、変数の定まらない人間や組織をモデル化することは容易ではなく、要素が多すぎてモデルが発散したり、どこまでを変数として扱うべきか判断できなかったり――
現実は“思った通りには動かない”という壁に何度もぶつかりました。
ピーター・センゲとの出会い
その後、大学院を卒業し、短いながらも社会人としての経験を積みながら、私はヒューマンバリューに入社しました。企業にシステム思考を伝える機会も増え、思考の枠組みが広がっていくことに確かな手応えを感じる日々でした。
一方で、現実の組織には、オセロの盤面のように“ここをひっくり返せば全体が変わる”というレバレッジポイントが、いつも見つかるわけではありませんでした。構造を理解しても、変化は思うようには起こらない。そんなもどかしさと向き合う時間が続いていました。
そうした折、サンディエゴで開催されたシステム思考のカンファレンスで、初めてピーター・センゲに出会うことができました。ピーター・センゲ、ダニエル・キム、オットー・シャーマー、アダム・カヘン、アニータ・ブラウンら、学習する組織のレジェンドとでも言うべき存在や叡智に若い時に触れられたことは何よりの財産です。
そして、ある年の基調講演で、ピーター・センゲが発した言葉は、特に深く自分の奥に響きました。
それは、
「現在は、一人の『偉大なシステムシンカー』の時代ではない。」と言う言葉です。
その一言に、自分の取り組みが一瞬で照らし返されました。私はどこかで、「正しくモデル化し、精緻に分析できる個」に価値を置いていたのかもしれません。
しかし彼が示したのは、異なる方向でした。
――私たちが必要としているのは、
一人の優れた分析者ではなく、
対話を通じて“集合的に”システムを理解し、共創していける組織なのだ。
その気づきは、私の探求の地平を大きく開いてくれました。システム思考が集合的な営みへと広がるとき、私たちが扱える未来の可能性は飛躍的に大きくなる――その兆しが、ここから見え始めたのです。
集合的なシステム思考―ホールシステム・アプローチとの出会い
ちょうどその頃、ヒューマンバリューはホールシステム・アプローチを学び、実践に踏み出し始めていたとことでした。
アプリシエイティブ・インクワイアリーのダイアナ・ホイットニー、
オープン・スペース・テクノロジーのハリソン・オーエン、
ワールド・カフェのアニータ・ブラウン、
そしてフューチャー・サーチのサンドラ・ジャノフ。
世界の第一線で、全体性をもたらす対話の技法を探究してきた人々から、私たちヒューマンバリューは多大な影響を受けました。
フューチャーサーチの原則にある “Whole System in the Room”。
それはまさに、ピーター・センゲが語った
「一人の偉大なシステムシンカーの時代ではない」
という思想をそのまま実践に落とし込んだような原則でした。
社会を“部分の集合”としてではなく、人と人のつながりが生み出す“関係そのものがシステムを形づくる場”として捉えるアプローチ。そこでは、専門家ではなく、現場の多様な人々が対話を通じて全体を理解し、未来を共創していきます。
この考え方は行政にも大きな影響を与えました。
ヒューマンバリューでは、松戸市、小田原市、東海市などで、地域の総合計画を住民・行政が一緒に描き出すプロセスを支援してきました。
地域の課題を“誰かが分析する”のではなく、“みんなが語り合いながら理解を深める”ことで、はじめて見えてくる未来がある。まさに、民主主義を「熟議によって再構築する」試みが日本各地で始まった時期で、私たちはその現場の真ん中に立ち会うことができました。
多様な人々の声がぶつかり、響き合い、広がっていく。そのダイナミクスを目の当たりにしながら、私は「集合的なシステム思考とは何か」を、身体ごと学んでいったように思います。
脳科学が照らした「人の価値」という構造
ホールシステム・アプローチを学び、“人と人がつながりながら未来を共創する”という可能性が見えてきた頃、科学の世界でも大きな転換が起こっていました。
fMRI(機能的磁気共鳴画像法)の進化です。
オシロスコープが電子回路の波形を映し出したように、人の脳内でどの領域がどのように“ともに働いているのか”という活動のパターンを可視化しました。
思考、共感、創造、葛藤――これまでブラックボックスだった心のプロセスが、ネットワークとして立ち上がるようになったのです。
その結果、私たちが対話の現場で直感的に感じてきた多くのことが、科学的にも裏付けられる時代が訪れました。
たとえば、脳科学者マシュー・リーバーマンらの研究によると、社会的つながりに関わる領域が含まれるDMN(デフォルト・モード・ネットワーク)が、脳が静かにしているときにも活性化し、人は“休息中にも他者とのつながりを準備している”ということが示されています。
人は、本質的に“つながる存在”であり、安心や信頼、共感があるときほど創造性が高まり、学習も進む。対話の質が未来を変える、という私たちの実感と深く響き合う発見でした。
さらに、スタンフォード大学のキャロル・ドゥエックの研究によって提唱されたグロース・マインドセットも、その後の脳の可塑性研究によって力強く裏付けられました。
「人は変われる」という信念そのものが、挑戦や努力という行動を生み、その行動が実際に脳神経の結びつきを変えていく。
この発見は、人材開発の世界にとっても大きな転換点となりました。
しかし皮肉なことに、こうした脳科学の進歩が照らし出したのは、当時一般的だったHR制度が、人間の本来持つ学習・成長の働きをむしろ阻害していたという現実でもありました。
たとえば、一般的な人事評価制度やパフォーマンス・マネジメントは、序列化、比較、点数化を前提にしています。しかし、脳科学の研究では、他者との比較や“評価される”環境そのものが、脳の脅威反応を引き起こし、
- 共感が低下する
- 創造性が下がる
- 学習や挑戦が回避される
- フィックスト・マインドセットが強まる
といった影響が生じることが明らかにされています。脳が「守るモード」に入ってしまうためです。
その結果、従来の評価制度は、組織が期待していたのとは逆に、共感を損ない、成長を止めるシステムとして働いていたーーその構造がようやく見えてきたのです。
これは、私たちが関わってきた対話の現場で感じていた違和感と、まさに同じ構造でした。
人は本来つながりの中で成長する。しかしシステムがそれを阻害してしまうと、その成長のリズムが途切れてしまう。この脳科学の発見は、HRや組織開発の世界における重要な問いを浮かび上がらせました。
“人が人らしく成長できるシステムとは何か?”
共感と対話が働き、成長しようとする力が自然に引き出され、個人の変化が組織の変化につながっていく。
ヒューマンバリューが追いかけてきた問いと、脳科学が示した真理がここで一つに結びついたように感じました。
そして今、AI がこれまでにないスピードで高度化し、人間の思考や判断の領域に踏み込みつつあります。だからこそ、私たちは改めて問う必要があります。
人を中心にしたシステムとは何か。
どのような関係や対話が、人の可能性を最大化するのか。
AI が役割を拡張する時代だからこそ、人間の経験、共感、学習、つながりを生み出す“根の部分”を見失わず、その価値に基づいたシステムを丁寧に設計し続けることがかつてないほど重要になっているのだと思います。AI が力をもたらす時代に、その力を“人の可能性をひらく方向”へと導けるのか――この問いに向き合うことが、次の私たちの挑戦だと感じています。
“人の価値”を起点に描く新しい循環 〜GROW THE PIEの世界と、次の40年へ〜
組織の変化や人の成長を見つめ続ける中で、私たちの問いは少しずつ広がっていきました。現場で起きる変化の背後には、必ずといっていいほど “社会という大きな器” の動きがある。
その気づきは、ヒューマンバリューの仕事が、組織内の課題解決にとどまらず、「企業は社会とどう向き合うのか」「経営はどんな価値を生み出すのか」といった議題へと開かれていった時期とも重なります。
まるで、ミクロの波形を追いかけていたはずが、その奥にゆっくりとうねる大きな潮流が見えてくるような──そんな視界の変化が起きていました。
企業の価値創造は社会の構造とどのように響き合うのか。人間の成長と経済の成長は、両立しうるのか。そんな問いに向き合う中で出会ったのが、ロンドン大学アレックス・エドマンズ教授の GROW THE PIE という考え方でした。
経済的価値と社会的価値を対立関係として捉えるのではなく、人の価値を中心に据えることで、両者が相互に大きくなっていくシステムを描くことができる。
これは、私たちがずっと探究してきた「構造を見る」という思考の旅が、ひとつの大きな円環を描いて社会へとつながっていくような感覚でした。
GROW THE PIE が示すのは、価値を奪い合うゼロサムの構造ではなく、人の可能性が解放されることで価値そのものが拡張していく世界です。人の創造性やつながりが新しい価値を生み、その価値がまた人を成長させる――そんな好循環を社会の中に実装していくことが私たちの次のチャレンジだと感じています。そして、その好循環を描き、育てていくための確かな礎として、システム思考はこれからも欠かせないものになるでしょう。
思えば、学生の頃に見つめたあの波のグラフ――それは今、社会の“うねり”のように私の中で響き続けています。あのとき私が見ていたのは単なる現象ではなく、人と世界をつなぐ関係のリズムだったのかもしれません。
制御工学の波も、
組織のダイナミクスも、
社会の変化も、
すべては関係が織りなすひとつの大きな循環。
その循環の中で、人の経験と対話が波紋のように広がり、世界を少しずつ変えていく。
40周年という節目に立ち、あのとき揺らいだ小さな波が、今もなお、未来へと続く新しい波の形をつくり続けていることを感じます。
そして、この一つの循環を終えた今、私たちはまた新しい波の始まりに立っています。
人の価値を起点に、組織や社会に新しいつながりと可能性を育てていくこと。その営みは派手ではありませんが、確かな手応えと静かな力をもって未来を形づくっていくはずです。
ふり返れば、この40年の歩みも、一つひとつの出会いや経験がつながり合って形づくられた、大きな「ご縁」の円環だったのかもしれません。
あたかも仏教で語られる「縁起」のように、誰か一人の力ではなく、無数の関わりが支え合いながら、いまのヒューマンバリューを生み出してきたのだと思います。
これからのヒューマンバリューも、ひとつひとつの経験と対話を大切にしながら、
次の40年をともに紡いでいきたいと思います。