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ニューロサイエンス

近年、人材開発や教育、マネジメント、働き方の変革などの領域において、「ニューロサイエンス」の知見を生かそうとする取り組みが広がってきています。

広がるニューロサイエンス(脳科学)のムーブメント

ニューロサイエンスは、日本語にすると、脳科学や、神経科学と訳されます。日本においても、昨今メディア等で取り上げられることが多いので、関心をもっていらっしゃる方も増えていると思われます。

毎年1万人近くがグローバルから参加する世界最大の人材開発の国際会議ATD(Association for Talent Development、旧ASTD)においては、2014年より「サイエンス・オブ・ラーニング」という新しいトラックが立ち上げられました。その中では、たとえば「学習とニューロサイエンス」「脳を活用したコーチング」「ニューロサイエンスと従業員のエンゲージメント」など、ニューロサイエンスをテーマにしたセッションが数多く行われていますが、満席で入れなくなるほど人気を博しています。ATDのCEOであるトニー・ビンガム氏は基調講演において、「私たちはニューロサイエンスによって、人材育成を加速させる方法を探し出そうとしています。ニューロサイエンスは個人や組織にとって、素晴らしいものをもたらしてくれると期待しています」と述べ、この領域を発展させていきたいという考えを発表しました。

また、ニューロサイエンスの知見を適用したリーダーシップ開発の実現を目指す、研究機関でありコンサルティング・ファームであるニューロリーダーシップ・インスティチュートは、2007年から、ニューロリーダーシップ・サミットを開催しています。このサミットには、毎年フォーチュン500企業からIT系の新興企業、大学の研究者など500名以上の参加者が集い、数万人がネットで視聴するなどの人気ぶりです。

2015年のサミットでは、「リーダーの早期発掘」「報酬とモチベーションのリンク」「ダイバーシティを阻害するバイアス(偏見)」「変革の加速」など様々なテーマについて、科学的なエビデンスに基づき議論されていました。

同インスティチュートのCEOを務めるデイビッド・ロック氏は、

人間は一見、合理的かつ論理的に動くように思われがちですが、実態は異なります。生物学的な側面から人間の思考や行動を理解する必要があります。

と述べ、人の学習やリーダーシップの向上を支援する人々が、ニューロサイエンスへの理解を深めることの重要性を説いています。

このように現在トレンドとなりつつあるニューロサイエンスですが、大きく研究が進化し始めたのが、1990年くらいからといわれています。米国における1990年から2000年は、当時のブッシュ大統領によって「脳の10年」と位置づけられ、多額の予算のもと、多くの研究プロジェクトが進行しました。また、1990年代にfMRI(functional magnetic resonance imaging:機能的磁気共鳴画像法)という技術が確立され、血流動態反応を視覚化することで、脳の内部の活動を直接見ることができるようになり、このことが脳の研究に大きく貢献しました。この技術によって、それまで間接的にしか研究できなかった、人の認知や感情といった抽象的な機能が、実際にどのような神経回路によって担われているかということについて、直接的に研究できるようになりました。

米カリフォルニア大学サンディエゴ校の脳認知センター所長であるラマチャンドラン博士は、人間のものの見方が変わった4つの転換期を挙げています。1つ目がコペルニクスによる地動説、2つ目がダーウィンによる進化説、3つ目がフロイトによる無意識の発見であり、これらによって、それまで当たり前と思われてきたパラダイムが転換しています。そして、4つ目の転換点が脳の革命にあるといいます。

脳の研究・理解を通して、これまで当たり前だと思われていた教育やマネジメントのあり方、コミュニケーションのあり方、働き方やモチベーションの高め方などが本当に正しかったのかということを、科学的な裏づけに基づいて(Evidence-Based)検証したり、新たな仮説を打ち出していこうという動きが急速に高まっているといえます。

パフォーマンス・マネジメントの変革の動き

そして、このニューロサイエンスの研究による裏づけを受けて、現在大きな変革が起きているのが、「パフォーマンス・マネジメント」の領域です。パフォーマンス・マネジメントとは、企業が、社員やチーム、組織のパフォーマンスを管理してゴールや目的を効果的に達成する取り組みの総称であり、社員の業績評価なども含まれます。

今、マイクロソフト、GE、ギャップ、ファイザー、アドビ、シアーズなど、米国の先進的企業の多くが従来型の業績評価のあり方を見直しています。具体的には、社員をレーティング(段階付け)して評価することをやめ、上司や部下、あるいは同僚同士が日常の中で頻繁にカンバセーション(会話)やフィードバックを行うことで、社員の学習と成長、そして価値の創出を促していけるような制度や環境、文化を築いていくことに舵を切っており、大きな注目を集めています。2015年までには55社がレーティングによる評価を廃止しており、2017年までには、フォーチュン500の50%が評価・ランキングを廃止し、継続的なフィードバックモデルを採用するのではないかといった予想も出ていました。

こうした動きを後押ししている心理学・脳科学による知見の1つに、スタンフォード大学のキャロル・ドゥエック教授らが行っている、「マインドセット」の研究があります。ドゥエック氏は、人々の学習と成長に関するマインドセットを大きく2つに分けて捉えています。

1.フィックスト・マインドセット(Fixed Mindset)
これは、「自分の能力は固定的で変わらない」という考え方に基づいています。こうしたマインドセットをもつ人は、失敗したくないという意識が強く、他人からの評価ばかりが気になり、新しいことにチャレンジしなくなったり、すぐにあきらめてしまい、成長につながりづらいという傾向があります。

2.グロース・マインドセット(Growth Mindset)
これは、「自分の能力は努力と経験を重ねることで伸ばすことができる、開発することができる」という考え方に基づいています。こうしたマインドセットをもつ人は、失敗を恐れず、学びを楽しみ、他人の評価よりも自身の向上に関心を向け、成長が促進されやすい傾向があります。

昨今のVUCAと呼ばれるような、変化が激しく、複雑性、曖昧性が高いビジネス環境の下では、一人ひとりが仕事に情熱を傾け、ストレッチなゴールに主体的にチャレンジし、創造性を発揮して、新たな価値を生み出していくことが重要です。そのためには、個人、そして組織の中にグロース・マインドセットをいかに醸成していくかがキーとなります。しかし、これまでのパフォーマンス・マネジメントや人事評価制度は、人々を数字でレーティングすることによって、多くの場合、人々のフィックスト・マインドセットを助長してきました。上述のデイビッド・ロック氏は、レーティングによる評価が人々の恐れや不安を招き、脳の扁桃体が刺激され、闘争・逃走反応を引き起こして、人々にネガティブな思考や行動を取らせてしまう懸念があることを、ニューロサイエンスの見地から明らかにしています。

そうした研究結果をエビデンスとして、今多くの企業が自社のパフォーマンス・マネジメントのあり方を見直し、グロース・マインドセットに基づいた学習する組織を構築しようとしています。そして、その探求と実践の動きは日本においても広がっています。

ヒューマンバリューでは、2016年から「パフォーマンス・マネジメント革新フォーラム」を開催していますが、日本において先行的な実践を行っているギャップ、GE、マイクロソフトで変革に取り組んでいる方々から、具体的な事例や得られた学び・発見が共有されたり、日産自動車、パナソニック、三菱商事、リクルートなどで人事や人材開発に取り組む方々が、このトレンドを踏まえて、日本においてどんな可能性があるのかをパネル・ディスカッションで探求するなどを通して、多くの洞察が生まれています。ニューロサイエンスを1つの起点としたこうした動きから、私たちの働き方や成長のあり方が、本質的により人を大切にしたものへと変革していくことが期待されます。

学習のあり方のシフト

また、ニューロサイエンスを生かして学習のあり方を革新していこうという動きも加速しています。たとえば、学習者がポジティブな感情を抱くと、記憶を司る海馬へと信号が送られ、長期記憶が強化され、行動にもつながりやすいといった脳の作用を踏まえて、感情を生かした研修プログラムのデザインやファシリテーションのあり方が研究されています。

その他にも、上述したATDでは、昨今のテクノロジーの進化も受けて「バイト・サイズ・ラーニング」や「マイクロ・ラーニング」といった言葉をよく耳にします。これは、職場において5~7分といった短い時間での学習を反復して行うことを意図した取り組みです。現在、多くの企業が、そうした学習コンテンツをモバイルやネットワーク技術を最大限に生かしながらいかにデザインするか、またそうしたナレッジが学習者間で相互共有されるようなエコシステムをどう築いていくかといったところに注力しています。この背景にも、長時間のイベントとしての学習だけではなく、短い時間で繰り返し学習していくことが、行動変容や学びの定着に影響があることを調査したニューロサイエンスの研究があります。

その一方で、カリフォルニア州立大学ドミンゲス・ヒルズ校のラリー・ローゼン教授ら、多くの研究者が、若者のスマートフォンやWebの使用頻度が高いことが、脳の指令機能である前頭皮質にマイナスの影響を及ぼし、脳の伝達機能が低下するといったことに警鐘を鳴らしています。スマートフォンやWebに触れずにリセットする時間を意図的に取ったり、瞑想、自然散策、運動、笑う、友人との会話、温かいお風呂に入るなどで、脳の負荷を減らすことが重要であるという提唱が行われています。

その他にも、ソーシャル・ブレイン(社会的な脳)やソーシャル・ニューロサイエンスの考え方への関心も高まっています。脳が社会的な相互作用の文脈の中で最も活性化するという事実に基づき、周囲との関係性を構築しながら、いかに意味ある学習を生み出していくかといった研究が行われています。

ATDのカンファレンスに参加する中でも、決められたゴールに向けて、権威から与えられる知識を適切に学習させ、均質化した人材を育てるような機械論的・客観主義的な世界観から、一人ひとりの強みや主体性を大切にし、日々の経験や他者との関わりの中から自律的・協働的に学び、創造性を育んでいくような生命論的・社会構成主義的な世界観への変化が感じられますが、その背景にもニューロサイエンスの影響があると思われます。
このように、時代環境やテクノロジー、また世界観の変化も伴って、学習のあり方についても様々な実験的試みが行われています。