ATD(The Association for Talent Development)

ATD2017概要

2017年のATDインターナショナルカンファレンス&エキスポは、5月21日(日)~5月24日(水)の日程で、米国ジョージア州アトランタのジョージア・ワールド・コングレスセンターにて開催されました。

関連するキーワード

このカンファレンスに参加することによって、人材開発に関する専門的な知識・情報を入手するだけでなく、他の専門家とのネットワーキングによるコミュニティが生まれ、また世界中の参加者との交流をとおしてグローバルな視点を得ることができます。カンファレンス期間中は、延べ登録数で約300のセッションと、エキスポも同時に開催され、世界中から多くの人々が参加しました。

ATD2017の参加者数

本年の参加国数と参加者数は以下の通りとなっています。

・トータル:10,000名
・米国外からの参加者(総数):1,829名
・米国外からの参加者(国別・多い順)
  1. 韓国:265名
  2. 日本:178名
  3. カナダ:176名
  4. 中国:163名
  5. ブラジル:84名

ATD2017の主要テーマ

ATD2017で行われるセッションは、以下の14個のカテゴリーに分けられています。

・キャリア・ディベロップメント(Career Development)
・グローバル・ヒューマン・リソース・ディベロップメント
 (Global Human Resource Development)
・ヒューマン・キャピタル(Human Capital)
・インストラクショナル・デザイン(Instructional Design)
・リーダーシップ・ディベロップメント(Leadership Development)
・ラーニング・テクノロジー(Learning Technologies)
・ラーニングの測定と分析(Learning Measurement & Analytics)
・マネジメント(Management)
・トレーニング・デリバリー(Training Delivery)
・ラーニングの科学(The Science of Learning)
・ガバメント(Government)
・セールス・イネーブルメント(Sales Enablement)
・ヘルスケア(Healthcare)
・ハイヤーエデュケーション(Higher Education)

ATD2017カンファレンスの報告

カンファレンス全体の傾向

ATD2017 International Conference & EXPO (ATD-ICE2017) では、例年同様、多くのテーマに関して活気のある議論が行われた。ここでは、カンファレンスの様子や検討内容、及び毎晩カンファレンス終了後にヒューマンバリューにて開催した情報交換会でのダイアログの様子を参考に、ATD-ICE2017でどんな探求が行われていたのかを傾向やキーワードとして整理し、概観してみることにする。

〇VUCA時代におけるアジリティ(Agility)

昨年(2016年)のカンファレンスでは、ラーニング・カルチャーを醸成することの大切さが全体のテーマとして明確に打ち出されていたが、2017年は全体をひとつの言葉で括れるようなテーマは見出しづらかったように思われる。そうした中でも、特に多くのセッションで使われていたキーワードをひとつ挙げるとすると、「アジリティ(Agility)」や「アジャイル(Agile)」という言葉ではないだろうか。

アジャイルとは、「素早い」や「俊敏な」といった意味があり、もともとはソフトウェアの開発などで用いられる言葉であった。
近年では、VUCAワールドと呼ばれるような複雑性や不確実性の高い時代において、企業が時間をかけて最適解を探したり、完成度を高めてから行動に移すのではなく、ラフな段階から積極的にチャレンジを行い、失敗から学び、顧客の声に耳を傾けながら、自分たちのやり方を変え続け、価値を創造していく経営のあり方として重視されている。

ラーニング・アジリティという言葉にあるように、ATDにおいても、数年前から、より素早く人々が学んでいける環境をどう創っていくかといったことが部分的に議論されていたが、今年はそれがより大きく取り上げられ、自分たちのあり方を変えていくキーワードとして使われている感もあった。

たとえば、2日目のジェネラル・セッションにおけるATD、CEOのトニー・ビンガム氏の講演の中では、IBMやビル&メリンダ・ゲイツ財団のCLOらの言葉を引用しながら、タレント・ディベロップメントに関わる私たち自身が、何かが完成するまで待っているようなパーフェクショニズム(完璧主義)の姿勢を捨てて、アジャイルに色々なことを試しながら創造していく力を高めていくことが大切であるとのメッセージを共有していたのが印象的であった。

コンカレント・セッションにおいても、「SU105:アジャイル・プロジェクト・マネジメントとLLAMAを駆使して意義のある反復行為のデザイン」「SU119:思考アジリティをもってリードする:優位な思考戦略を模索する」「TU310:アジャイルなタレントのための適応力ある組織を作る」のように、セッションタイトルにアジャイルが掲げられているものも数多く見受けられた。

特に、SU119のセッションでは、Thinking Agility(思考のアジリティ)とEmotional Fluency(感情のなめらかさ)を足し合わせた、「リーダーシップ・アジリティ」が重要であり、そのために、個人、チーム、組織のレベルで好奇心とラーニングを高めていくことが、変化の激しい時代のマネジメントにおいて必要であるといったメッセージが、多くの参加者の共感につながっていたようであった。

また、W205のセッションでは、スターバックスがいかにアジャイルにデジタルのトレーニングシステムを開発しているかの事例を発表し、参加者にアジャイルな取り組みを進めるように推奨していた。

〇マインドセットへのフォーカス

では、そうしたVUCAの時代、アジリティが重視される時代において、タレント・ディベロップメントに関わる私たちは何を変え、高めることにフォーカスを置くべきであろうか。スキルやコンピテンシーを高めることももちろん重要かもしれないが、変化の時代においては、すぐに陳腐化してしまう。

そうした背景から、ここ数年は、キャロル・ドゥエック氏が提唱するグロース・マインドセットに代表されるように、人々のチャレンジ性や学習性を高め変化に適応していけるような「マインドセット」をいかに高めていけるかが大きなテーマとして掲げられている。今年もその傾向は継続され、より広がりを見せてきていると感じられた。

たとえば、3日目にキーノート・スピーカーとして登壇した、スタンフォード大学のケリー・マクゴニガル博士は、ストレスに対する私たちのマインドセット(捉え方)を変えることの重要性を提唱していた。ストレスは、一般的には病気のリスクとなり、身体に害を及ぼすものとして扱われている。

しかし、アメリカで3万人の成人の動向を8年以上追跡調査した結果からは、ストレスそのものではなく、「ストレスが体に悪い」と信じることが実際には悪影響を及ぼすのであり、反対に「ストレスが無害である」と信じていたことが死亡リスクを下げるといったことがわかってきている。

そして、ストレスに対するマインドセットをポジティブに変え、大変な苦境にあるときこそ、その苦境から自分は学べる、最高のものを出せるという考え方をもつことが、人々の健康や成長につながったり、厳しい状況だからこそお互いに助け合うといった社会性につながり、より豊かな人生を導くということを、心理学や脳科学の実験結果を交えながら参加者に訴えかけていた。

マクゴニガル博士は、同じスタンフォード大学のキャロル・ドゥエック氏ともつながりがあるようだが、こうした視点は、グロース・マインドセットやフィックスト・マインドセットの考え方とも通ずるところがあると思われる。

また、2日目にキーノート・スピーカーとして登壇した、一卵性双生児の宇宙飛行士である、キャプテン マーク&スコット・ケリーにおいても、パイロット時代の戦闘体験や、宇宙ステーション滞在時の宇宙ゴミとの衝突危機の際のエピソードをもとに、自分がコントロールできない困難に振り回されるのではなく、そのときに自分がコントロールできることに集中することの大切さがメッセージとして投げかけられていた。

VUCAの時代においては、様々な困難や障害が日常的に起きてくることが考えられるが、こうしたキーノート・スピーチからは、そうした状況に私たちがどういうマインドセットで向き合う必要があるのかといった示唆を与えてくれる。

その他コンカレント・セッションの中でも、自らのマインドセットや習慣を変えていくことで、変化にいかに適応していくか、レジリエンスをどう高めていくかといったことを扱ったものも多く、今後も重要なテーマとして扱われていくと考えられる。

〇サイコロジカル・セイフティ(心理的安全性)とニューロサイエンス(神経科学)

そして、マインドセットを健全に育み、アジャイルに価値創出していく上で大きな影響を及ぼす要因が、働く組織や職場で信頼関係が存在していることが挙げられる。
恐れや不安にあふれた職場環境では、新しいチャレンジが生まれず、学習も起きづらい。そうした背景から、昨年はTrust(信頼)やSafety(安全)という言葉が頻繁に語られていたが、今年は「サイコロジカル・セイフティ(心理的安全性)」というキーワードが、多くのセッションで聞かれたのが印象的であった。

特にグーグルの自社内のチームを対象に行った調査がよく引用され、チームの生産性に最も大きな影響を与える要因に心理的安全性(失敗を意識せず安心してこのチームでリスクを取ることはできる)があるという調査結果が幅広く共有されていた。

たとえば、「M104:チームの神経科学」では、この調査結果の共有とあわせて、ハーバード大学のエイミー・エドモンドソン教授による心理的安全性の考え方が、次のように紹介されていた。
「心理的安全性とは、誰かがアイデアや質問、懸念や失敗について口に出して発言することによって、当惑させられたリ、拒否されたり、罰せられたりすることがチームの中で起きないということについて、自信をもっている状態を指します。チームが、人間関係についてリスクを取ることに対して安全であるという信念が共有化された状態です。相互の信頼と尊敬によって特徴づけられたチームの雰囲気を指し、そこでは安心して自分らしくいられます。」

また、「M102:心理的安全性のための誘因やバイアスを学ぶために神経科学を活用する」では、心理的安全性を高めるポイントとして、「S.A.F.E.T.Y」モデルが紹介されていた。
S.A.F.E.T.Yは、

 「Security(安全)」
 「Autonomy(自律性)」
 「Fairness(公平性)」
 「Esteem(尊重)」
 「Trust(信頼)」
 「You(自身):自分のパーソナリティやバイアス、過去・現在・未来のコンテクストを理解する」

を指している。
これは、NeuroLeadership Instituteのデイビッド・ロック氏らが提唱しているSCARFモデルとも似たものになるが、整理の仕方としてわかりやすいと参加者からも好評であった。

また、「M306:ハイパフォーマンスの文化を創り出す神経科学」では、クレアモント大学のポール・ザック教授から、トラストとパーパスの二つが高い組織は、エンゲージメントとカスタマーサービスのレベルが上がり、仕事を楽しくでき、高いパフォーマンスにつながるということが紹介されていた。

また、心理的安全性の話と関わるところで、今年はその先にあるチームやコラボレーションについ言及されることが増えていたことも特徴であったと思われる。

上述した「M104:チームの神経科学」では、近年、個人レベルの成長やモチベーション、パフォーマンス・マネジメントを扱うことが多かったニューロサイエンスの範囲をチームにまで拡張し、チームのコラボレーションについての新しい研究成果と、新しい応用のプラクティスが共有されていた。

ミラーニューロンやニューラル・カップリング、チームとして成果を高めていくための力を表すCQ(Collaborative Quotient)など、様々な概念が紹介され、300名以上の参加者が真剣に耳を傾けており、今後この領域での探求や実践がさらに進んでいくと思われる。

ここまで述べてきたように、今年は、心理的安全性という概念や言葉が、タレント・ディベロップメントに関わる人々の中での共通言語として定着してきているように感じられた。

その背景として、こうした心理的安全性に関する考え方の多くは、ニューロサイエンスやポジティブ・サイコロジーなど、科学的なエビデンスによって裏付けられており、説得力をもって受け止められていることが挙げられる。
今後、こうした理論やエビデンスをもとに、職場の中で心理的安全性や信頼関係を高めていく取り組みが展開され、当たり前のように行われていく予兆も感じられた。

〇ミレニアル世代、世代を超えたインクルージョン

そして、VUCAの時代のタレント・ディベロップメントのあり方を考える上で、もう一つ重要な視点として、デジタル・ネイティブであるミレニアル世代が挙げられる。
昨年見受けられた特徴としては、これまで議論されてきた、ミレニアル世代の台頭にどう対応するかといった視点から、既にミレニアル世代が職場の中心にあるといった考え方に変遷しているという認識が広がってきたことにある。

今年のカンファレンスでは、世代で一括りにするのではなく、一人ひとりに目を向け、理解を深めるとともに、組織や職場全体でインクルージョンを実現していこうというメッセージが多く感じられたようにも思う。

たとえば、「M301:異なる意見と一致する意見:経営幹部とミレニアル世代のリーダーのリーダーシップ観」では、DDIとカンファレンスボードが、14社約2800名に対して、ミレニアル世代とそうでない世代のリーダーシップ観の違いに関する調査結果が報告されていた。その中では、88%の項目が、世代を問わずに共通の傾向を見せているといった、やや意外な結果が紹介され、関心を集めていた。

その上で、世代間のギャップを過大視しすぎたり、心配するのではなく、世代間の違いも、人種の違い、ジェンダーの違い、性格の違いなど、多様性を表す軸の一つとして捉え、未来のリーダーを育てていくことの大切さが訴えられていて、興味深かった。

また、「TU214:ミレニアル世代を動機づける:彼らの情熱を解放する新しい調査」では、昨年も人気の高かったカルチャー・ワークス社によって、10年間かけて85万人を対象に行われた調査結果をもとに、ミレニアル世代のモチベーション要因に関する考察が行われた。

データ自体は昨年と変わらず、ミレニアル世代のモチベーション要因トップ3が、Impact、Learning、Familyという結果が紹介されていたが、その上で「Knowing is the key(知ることがキーである)」というポイントを挙げ、○○世代というように一括りにしないで、個別の人間を見ていくことの大事さもあわせて紹介されていた。

その他にも、「SU115:世代を超えた知性:世代を超えてタレントを育成するには」の中では、世代ごとの特徴や生きてきた時代背景についての一通りの理解を深めた上で、大切なのは、こうしたマルチ・ジェネレーションズが存在する中で、リーダーが自分の考え方に固着するのではなく、自分自身が学び、進化し続けること、そしてメンタルのアジリティを高めて柔軟に対応していくといった、一人ひとりのマインドセットの進化について言及がなされていたのが印象的であった。

ここまで述べてきたように、世代のラベリングをするのではなく、一人ひとりを理解・尊重した上で、共に学びながら、関係性を育んでいくことが語られており、この点は、前に述べた心理的安全性やマインドセット、チーム作りといった点と重なる部分があるようにも見受けられる。

〇学習のデザイン

近年は、学習のあり方やデザインの変革がひとつの大きなテーマとして取り上げられてきた。

特にここ数年は、「70:20:10の法則」(人間は経験から70パーセントを学び、人との関わりから20パーセントを学び、クラスルームから10パーセントを学ぶというもの。80年代にCCLが提唱)が大きく取り上げられ、経験と相互作用からの学びを増やして学習をデザインすることが提唱されたり、学習を単発のイベントとして捉えるのではなく、プロセスやジャーニーとして捉え、デザインしていこうというメッセージが強く打ち出されていた。

しかし、今年は、「70:20:10」や「ジャーニー」という言葉を聞く機会がかなり減少したように感じられる。ただし、これは、こうした考え方がなくなったのではなく、当たり前になってきており、ことさら強調する必要がなくなってきたと考えられる。

たとえば、「SU400:eラーニングはとても古い:新しいマネジャーのオンボーディングを個人的にする方法」では、新任マネジャーのOnboadingの取り組みを、1年間のスパンでデザインし、神経科学の知見も応用しながら、いかに脳にとって効果的な学習プロセスを構築していくかがケーススタディとして扱われていた。

その中で紹介されていた言葉に、「2-2-2」がある。これは、2日間、2週間、2か月のそれぞれのタイミングでフォローのあり方を考えるというコンセプトであり、本セッションに限らず、いくつかのセッションで同様の言葉が使われていた。こうした学習のフォローのあり方に関する議論も今後深まっていくかもしれない。

また、それを後押ししているのが、「マイクロ・ラーニング」になる。
マイクロ・ラーニングについては、今年はトニー・ビンガムCEOが、ジェネラル・セッションの中で、あらためてキーメッセージとして語っていた。ATDで行った調査では、38%がマイクロ・ラーニングを既に活用していて、42%が将来マイクロ・ラーニングを取り入れたいと考えているといった結果も紹介されていて、今後取り組みが促進されていくものと思われる。

また、学習のデザインのあり方を、企業側からプッシュして提供していくカンパニー・センタードなモデルから、学習者が自ら学ぶ意識やプロセス、経験を大切にしていくラーナー・センタードなモデルへ変革していこうとする動きも、少しずつ高まってきていると考えられる。

たとえば、「SU202:未来の職場体験:コーポレート・ラーニングの断絶に備える」では、プログラムを提供者として管理する存在であるHRから、学習者の経験を高めることへのシフト、コーポレート・ユニバーシティからパーソナライズド・ラーニングへのシフト、そして従業員も学習の消費者から継続的な学習者へとマインドセットをシフトしていくことが重要であると語られていた。

そして、具体的な事例として、GEが導入した学習者中心のラーニング・プラットフォームである BririantYou™ が紹介され、イノベーションを起こし続けていくために学習のあり方を変容させている様子が共有されていた。

また、「TU106:次なるフロンティア:学習者の解放」では、ラーニング4.0というコンセプトが紹介され、ラーナーをオブジェクト(対象)としてみなし、いかにLearnability(学習性)を高めるかという観点から、ラーナーをエージェントとして捉え、ラーナー自身のLearn-ability(学習能力)を高めるかという観点へとマインドセットをシフトさせていくことの重要性が語られていた。

〇終わりに:組織のトランスフォーメーションにタレント・ディベロップメントがどう関わるのか

ここまで、ATD-ICE2017において検討されてきたテーマや動向を紹介してきた。
全体的には、VUCAの時代において、変化に適用していけるような人や組織を生み出していくためのパラダイム・シフトについて語られている印象があったが、そうした組織のトランスフォーメーションにおいて、タレント・ディベロップメントの専門家である私たちがどのような役割を担い、どう関わっていくことが大切であろうか。

ATDのチェアである、マルシー・モー氏は、ジェネラル・セッションの中で、以下の6つの役割の重要性について述べていた。

Get on the balcony(バルコニーに乗る)
Have courageous conversation(勇気ある会話を行う)
Conduct smart experiments(スマートな実験を行う)
Be a stakeholder for success(成功に向けたステークホルダーになる)
Pay attention to the culture(カルチャーに注意を払う)
Be human(人としてある)

モー氏は、私たち自身が変わっていくことが重要であるというメッセージをもとに冒頭の挨拶を締めくくっていた。ATD-ICEでは、たくさんの学びがあるが、そうした学びをもとに、まず私たち自身が実現したい状態に向けて一歩を踏み出し、変化するところから始めていきたいと思う。

基調講演

〇キャプテン マーク&スコット・ケリー

2日目に行われた最初の基調講演には、一卵性双生児の宇宙飛行士である、キャプテン マーク&スコット・ケリーが登壇した。

宇宙に一年間滞在するスコットと地上にいるマークを観察し、宇宙が人間の身体に与える影響を理解するという歴史的な実験を行ったアメリカのヒーロー達は、自分たちの生い立ちや過去の経験をストーリーで共有し、そこから導き出される教訓を観衆にメッセージとして伝えた。

ウェイトレスからニュージャージー州で初めての婦人警官になった母親をもつ2人は、自宅裏に体力テスト用の壁をつくって猛練習を重ねて合格を勝ち取った母の姿から、ゴールを定めて、計画を立て、一生懸命に実行することの素晴らしさ、その価値を学び取ったというエピソードを紹介した。

ゴールをもつことのすばらしさを感じた2人は、それぞれ宇宙飛行士になるという夢・ゴールをもったが、実際に海軍に入って航空母艦に着陸する練習をすると、終了後のブリーフィングで「この職はあなたに合っていますか?」と言われるほどの酷い出来だったものの、そこで諦めず、練習を続けていったというエピソードや、プランを立て、ステップを描いて乗り越えようとしたエピソードを共有し、粘り強く計画を遂行することの大事さを伝えていた。

「何かに最初にトライした際の出来は、最終的にどのような成功を収めるかの指標にはならない」

「継続的に自分を高めるためために重要なことは、高いゴールをもつこと、そして計画を立て、ステップを定めて取り組むことだ」

また、パイロット時代の戦闘体験や、宇宙ステーション滞在時の宇宙ゴミとの衝突危機の際のエピソードからは、自分がコントロールできない困難に振り回されるのではなく、そのときに自分ができることに集中すること、見えているリスクに対しては、最も細かいことに注意を払ってリスク管理をすることの大事さを教訓として語っていた。

2人は素晴らしく美しい宇宙の写真を背景に、宇宙での様々な体験を観衆に共有したが、そこでの気づきを以下のように語った。

「宇宙から惑星としての地球を見ると本当に真っ青で美しいことが分かる。こんなに美しいものを見たことはない。それと同時に、地球の環境の脆さも見て取れる。大気圏というのは本当に薄いフィルムで、これだけで地球は守られているのに、実際に大気汚染が起きているところがある。そして、熱帯雨林が破壊されていることも分かる。そして、宇宙から見ると、そこには国境線がないことに気がつく。一緒に何かをする、問題解決を行うということはどういうことかが分かる。宇宙から見ると本当のグローバルな考え方というものが分かってくる。」

最後に、宇宙ステーションが言語もエンジニアリングの基準も違う15カ国の協力によって創られたことを引き合いに出し、夢をもつこと、ゴールを定めて計画を立てること、自分のできることにフォーカスしてチームとして協力すること、それができればどんな限界も越えられる。簡単だからその道を選ぶのではなく、難しいからこそその道を進む意味がある。私たちが困難なチャレンジを選択する時、空に限界はない(Sky is not the limit)というメッセージで基調講演を締めくくった。

〇ケリー・マクゴニガル博士

3日目に行われた基調講演では、健康心理学者でスタンフォード大学の人気講師でもあるケリー・マクゴニガル博士から、ストレスというものがもつ可能性やストレスとの効果的な向き合い方について紹介がなされた。

博士は、『The Willpower Instinct(邦題:スタンフォードの自分を変える教室)』『The Upside of Stress: Why Stress Is Good for You, and How to get Good at It(邦題:スタンフォードのストレスを力に変える教科書)』やTEDトーク(邦題:ストレスと友達になる方法)などで著名であり、2010年にはフォーブス誌の「ツイッターでフォローしたい20人の最もインスパイアされる女性」の一人にも選ばれている。

講演の冒頭、博士から、自身のストレスへの考え方が変わるきっかけとなった研究結果の紹介があった。健康心理学者として過去10年もの間、ストレスを敵視し、ストレスは病気の原因になると言い続けてきた彼女は、ある研究結果がきっかけとなり、ストレスについての考え方が根本から変わったという。

その研究とは、3万人のアメリカ人を対象に8年以上研究されたもので、「あなたは昨年、どれくらいストレスフルでしたか?」「ストレスは健康に悪いと思いますか?」といった質問を参加者に聞いた後、追跡調査を行い、その参加者の死亡記録を見たものである。
その結果、前年にひどいストレスを経験した人たちは死亡するリスクが43%高かったという。しかし、それは「ストレスが体に悪いと信じた人たち」だけが死につながったということだった。
この研究結果から、ストレスについてどのように考えるのかといったマインドセットが、健康や心の幸せに大きな影響を与えるという洞察が得られたという。

次に、健康や幸せに影響を与えるストレスマインドセットとは一体どのようなものかについての紹介がなされた。
「ストレスはひどいもので避けるべきだ」「ストレスはエネルギー(バイタリティ)を下げるものだ」「ストレスはパフォーマンスを悪くする」といった考え方に対して、「ストレスはポジティブなもので役立てることができる」「ストレスはパフォーマンスを高めるもの」といった考え方をすることもできる。ストレスに対してどのように考えるかはコントロールが可能で、自分自身で選択することができる。戦略的に望む考え方を信じることによって、実際にそのような影響を受けることができると語られた。

その後、実際上手にストレスと向き合い、ストレスを活かしていけるようになるための、具体的な3つのマインドセットについて語られた。

1つめのマインドセットは、「ストレスは活かすことのできるエネルギーである」という考え方だ。
ストレスを感じるようなチャレンジングな状況に身を置くと、身体の反応として、心臓の鼓動が速くなり、汗をかいたり、呼吸が速くなったりすることがある。それらの反応は、身体や脳がチャレンジに向けて立ち上がっている証拠で、酸素が体中に行き渡り、能力が一番でるような状態を作ってくれているのだという。

最大限のパフォーマンスを発揮する際は、それらのエネルギーを使うことができるので、ストレスとは決して悪いものではなく、活力になるポジティブなものである、という考え方が紹介された。

2つめのマインドセットは、「ストレスフルな経験は、私たちが学んだり成長したりする際に重要なものである」という考え方だ。
アメリカ海軍の過酷な訓練で見られるように、人間は非常に深刻なストレス下に置かれると、その反応としてDHEAと呼ばれるホルモンが脳内で分泌され、恐怖を抑制し、冷静にアクションが取れるようになるという(ストレスレジリエンス)。
そのようなストレス状況からの回復を経験することで、その後、もっと大きな困難に直面した際も乗り越えることができるようになるというものだった。

大変な苦境の中でも、人間はそこから学んだり成長することができ、かつ、そのような苦境では自分がもっている最高のものが出せるときでもあるので、そのような状況下に身をおいたときは、ぜひこの事実を思い出し、ストレスを受容してほしいというメッセージが伝えられた。

3つめのマインドセットは、「ストレスは、私たちをもっと親切に、社会的な存在にさせるものである」という考え方だ。
乱気流に遭遇した飛行機の中での心に響く体験を紹介してくれた。たまたま隣の席に座った老夫人が不安を博士に訴えたとき、博士も怖いことを伝えると、その夫人は博士の手を握り、博士を優しく支え励ます存在へと変容したという。

このように、ストレスはオキシトシンと呼ばれる社会性や思いやり・共感・つながりを増やすホルモンの分泌を促進させ、その結果、恐れがなくなり、代わりに希望の感情が沸いてくる事実について説明した。

大きくコントロールできないストレスに見舞われたときは、自分と同じようにストレスがかかっている人のことを思い、その人に手を差し伸べると希望が湧いてきて、人間関係が強化され幸福感が沸いてくるので、他人をサポートしようという気持ちをもつことが重要だと語っていた。

最後に、「あなたが今度、ストレスフルな状況に身をおいたときは、身体にどのような作用が起きているのかを思い出してください。そしてストレスはエネルギーを与えてくれるものであり、回復力を与えたり、最高の自分を見出す機会になるものであり、他の人に対して希望・勇気・愛を与えるものであるという私の話を思い出してください。それから、あなたの人生のチャレンジをハンドルするために、もっと深い部分で自分を信頼できることを思い出してください」というメッセージで基調講演を締めくくった。

博士の飾らないナチュラルな姿から発せられたメッセージから、聴衆も勇気をもらったように感じられた。

〇ローナン・タイナン博士

最終日には、アイルランド出身のパラリンピックのゴールドメダリスト、医師、テノール歌手であるローナン・タイナン博士によるキーノートスピーチが行われた。

下半身に障がいをもって生まれながらも、馬に乗ったり、バイクレースをしたりとやんちゃな少年として育ち、合併症によって足を切断するも、そこから1年経たないうちにパラリンピックで金メダルを取り、その後にトリニティ・カレッジの医学部に進学して、スポーツによる怪我専門の整形外科医として働く傍ら、声楽の勉強を始めてテレビのオーディション番組で優勝し、テノール歌手として活躍する博士のストーリーを特集したテレビ番組の動画が流れた後、博士がステージに登場した。

Celtic Thunderの『Ride On』の歌唱から始まったスピーチは、最高の人生を送るにはどうしたらよいか、人生を最大限に、そして幸せに生きるとはどういうことかについてのメッセージを、博士のこれまでの人生のストーリーテリングを通して伝える内容となった。

博士がレースで走る際は、その姿を見るのではなく、常に舞台裏で無事に帰ってくることを祈り、プッシュするのではなく常にサポートをし続けてくれた母親。
「ロニー、君は素晴らしい」と声をかけ続け、常に「なんだってできる」と信じて応援し続けてくれた父親。
こうした人たちがいたからこそいま自分がここで話をしているのだと、博士は話した。

「周りの人が私は絶対にできると思ってくれていたこと、家族や友達が愛を注いでくれてあたたかく包み込むように支援してくれたおかげでこのようになったと思います」
そして、その上で人を信じ支援することの大切さを以下のように伝えた。

「前を向いて、可能性を抱きしめて、いまを楽しんでください。そして、人を信じ、励ますのをためらわないでください。励ます機会があれば、必ず励ましてサポートしていただきたいと思います。私は人のサポートがあったので、このような人生を送ることが出来ています。」

「また、皆さんはそれぞれ自分の道を歩んでいますが、皆さんの人生も同じように、ここまでくるに本当に多くの人の助けやサポートがあって、いまがあるのです。謙虚にそして感謝をもって、そうしたサポートを受け取ってください」

ハンディキャップがありながらも様々なチャレンジを乗り越えてきた経験からは、何が欲しいかではなく、何が与えられているかに集中して、目の前の機会に目を向けることの重要性が共有された。

その上で、変化は辛いことでもあるが、いまの状態を維持していては自分の望むところには到達できない。変化はすべての人にとって必要なことであり、人生に期待している分だけ得るものがあるというメッセージを伝えた後で、変化をするためのアドバイスを以下のように語っていた。

「まず自分自身を受けいれてあげてください。それが最初の変化です。自分自身を受けいれたら、あなたに太刀打ちできる人はいません。そして、周りにはあなたを助けてくれるたくさんの人がいます。」

また、オペラ歌手としての自らの失敗談を面白おかしく語りながら、時計の針を戻せないだろうかと思う失敗の1つや2つは誰にもあることであり、そこから学ぶことさえできれば、失敗は価値があることなのだというメッセージが伝えられた。

「ストラグルと成功はセットです。ストラグルの中で、人を励ましたり、励ましてもらったりします。苦しみの中で出会う人、信じてくれる人、励ましてくれる人、その方々が人生での目的を達成しうるキャンドルとなって輝いている人です」

アイルランドの景色を背景に『ハレルヤ』が歌われる形で幕を閉じたタイナン博士のキーノートスピーチは、最後に以下のようなメッセージが添えられて終わった。

信じることは、夜明け前の闇の中で光を感じ歌っている小鳥のようだという言葉があります。(Faith is the bird that feels the light and sings when the dawn is still dark.)その暗い中でも光を感じて希望の詩をうたうことができるのです。

本当の意味で幸せな人生を送るとはどういうことか? 何かに挑戦し、変化しようとしている人をサポートするとはどういうことか?
信じることの尊さ、人と人とが支え合い励まし合うことの尊さ、愛の尊さと普遍性を、あらためて思い起こさせるようなスピーチに対して、会場は全員総立ちのスタンディングオベーションで応えていた。

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株式会社ヒューマンバリュー 会長 高間邦男 ソフトウエア開発の手法として実績をあげてきたアジャイルの考え方は、一般の企業組織にも適応可能で高い成果を期待できるところから、最近では企業内の様々なプロジェクトにアジャイルを取り入れる試みが見られるようになってきました。また、いくつかの企業では企業全体をアジャイル組織に変革させるという取り組みが始まっています。本稿ではこういったアジャイルな振る舞いを

アジャイルな組織づくりとITインフラ課題

2021.10.11インサイトレポート

<HCIバーチャル・カンファレンス2021:Create a Culture of Feedback and Performance参加報告> 〜「フィードバック」を軸としたパフォーマンス向上の取り組み〜

2021.10.01インサイトレポート

2021年 6月 30日に、HCIバーチャル・カンファレンス「Create a Culture of Feedback and Performance(フィードバックとパフォーマンスのカルチャーを築く)」が開催されました。

自律分散型組織のさまざまなモデル

2021.09.24インサイトレポート

プロセスガーデナー 清成勇一 次世代の組織運営として、自律分散型・自己組織化・アジャイルなどのエッセンスを取り入れた組織形態・運営が、全世界で今なお進化し続けています。 筆者は、学生時代に「学習する組織」という理論に出会い、そこに管理・コントロールを主体とした組織運営ではなく、一人ひとりの主体性と情熱が発揮される組織運営の可能性を感じ、学習する組織づくりを実践しているヒューマンバリュー社に入社

コラム:『会話からはじまるキャリア開発』あとがき

2021.08.27インサイトレポート

ヒューマンバリューでは、2020年8月に『会話からはじまるキャリア開発』を発刊しました。本コラムは、訳者として制作に関わった私(佐野)が、発刊後の様々な方との対話や探求、そして読書会の実施を通して気づいたこと、感じたことなどを言語化し、本書の「あとがき」として、共有してみたいと思います。

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