雑誌掲載記事

「ASTD2010」で見受けられたラーニングのパラダイム・シフト

ASTD2010 International Conference & EXPOが、2010年5月16日~19日に米国イリノイ州シカゴにて開催された。今年も8500名の参加者がシカゴに集い、4日間合計262本のセッションを通して多くの探求が行われた。

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ASTDは、世界中の企業や教育機関・行政体の人材・組織開発に携わる実践家や研究者たちが一堂に会する学びの場である。その場では、様々な取り組みやコンセプトが発表され、対話や議論を通して、今後のラーニングの方向性が生み出される。新型インフルエンザや景気の影響を受けて参加者数が落ち込んだ昨年と比べて、今年は活気が戻り、盛況感にあふれたコンファレンスであった。

筆者はASTDに参加して今年で10年目となる。毎年様々なテーマが議論されてきたが、今年は特にインパクトが強く、大きな刺激を受けた。これは筆者だけでなく、日本から参加した多くの人々が同様な感想を話されていた。経済のグローバル化やソーシャル・メディアを始めとしたテクノロジーの進化の中で、学びのあり方、リーダーシップや組織のあり方がこれまでの枠組みから大きく変わろうとしているのを理論だけではなく現実の姿として目の当たりにしたコンファレンスであった。

そうした変化の真っ只中で、著者も含めて多くの参加者たちが、改めて人材・組織開発に携わる自分たちのミッションや役割について問い直していたのではないだろうか。そこで、本レポートでは、ASTD2010で見受けられた傾向の中から、特に今後の人材・組織開発のあり方に影響を及ぼすものを中心に紹介することで、議論や探求を深めていくきっかけとしたい。

ソーシャル・ラーニングの進化

ここ数年のASTDでは、具体的なテーマやトレンドを見出すことが難しかったが、今年は、「ソーシャル・ラーニングを推進していこう」という明確なメッセージがASTD側から打ち出されていた。ASTDのCEOトニー・ビンガム氏も会議の冒頭のスピーチの中で、シェブロンやデロイトなど先進的に取り組む企業のCLOのコメントをVTRで紹介しながらその重要性を訴えていた。

冒頭でソーシャル・ラーニングに関するスピーチを行うASTDのCEOトニー・ビンガム氏

ソーシャル・ラーニングが何を指すかは議論が必要なところではあるが、コンファレンスの中では、昨今普及が進むFacebookやTwitter、YouTube、Ustreamなどのソーシャル・メディアを活用しながら、人々がインフォーマルに学びあう学習のあり方といった文脈で捉えられていたようだ。ソーシャル・ラーニングが注目を集めるひとつの背景には、働く人々の世代構成が大きく変わろうとしており、上述したようなソーシャル・メディアを自由に使いこなすミレニアム世代やネットGenと呼ばれる人々が、近い将来働く人々の大半を構成するようになるという社会状況がある。そうした状況では、既存のクラスルーム・トレーニングのような学習形態だけでは人々の学習と成長に貢献できなくなってしまうため、人材・組織開発の専門家たちが、既存のモデルを変えていかなければならないというメッセージが強く現れてきていた。

こうした議論は以前から行われてきたが、今年はソーシャル・ラーニングに関する各社の取り組みや人々のリテラシーが大きく進化し、かなり現実的な展開がなされていたように思う。ソーシャル・ラーニングを取り扱うセッションはどれも盛況であり、発表者の講演を聞くだけでなく、参加者同士が実体験をもとにその可能性や課題について話し合っている様が印象的であった。

Cegos社が発表していたソーシャル・メディアの分類(Learning trends and solutions to accelerate performance and success in the Global Learning & Development marketplaceより)

企業事例も多く、例えばインテルにおいては、80,000人の社員が社内のFacebookに参加し、仕事やキャリアについてお互いから学び合っていたり、ストレングス・ベースド・ウィキと呼ばれる社内ウィキを立ち上げ、社員一人ひとりが持つ知識・専門性を組織全体で活用できるような仕組みを構築しているとの報告があった。その他にもクアルコム、FRB、タイム・ワーナー・ケーブルなど様々な企業事例の中でその取り組みが紹介されていた。ソーシャル・ラーニングを取り入れて、働く人々をつなぎ、そこから知識を生み出していくということが、人材・組織開発の中で本気で行われ、試行錯誤が続いているようであった。ソーシャル・メディアを活用した学習体験を検討する際には、フランスのトレーニング会社であるCEGOS社が提示していた分類が参考になる。

ASTD2010 について Twitter 上で様々なつぶやきが行われていた

そして、ソーシャル・ラーニングで学習が起きるということを筆者はASTDの会場でも体験することができた。コンファレンス前からTwitter上では「#astd10」というハッシュタグのもとで様々なやり取りがなされており、会期中も休憩時間に何百ものツイートが参加者からなされていた。ヒューマンバリューのデリゲーションメンバーの一人は、基調講演の最中にTwitterにアクセスしていたのだが、講演者が発言するたびにツイートで気づきや感想が共有されたり、この会場に来ていない人からもフィードバックが入ったり、講演者が見せていたスライドの入手先の情報がリアルタイムでアップされていく様子に感銘を受けたと話されていた。そして、ASTDが終了した後も、こうしたやり取りは続いており、時間と空間を越えて学習が行われ、参加者が学ぶ姿が変化している様を肌感覚で感じることができた。

このように盛況な議論や探求が行われたソーシャル・ラーニングであったが、ソーシャル・メディアはリーダーシップのあり方にも影響を与えることが指摘されていた。ソーシャル・テクノロジーの分野でのオピニオン・リーダーであり、「Open Leadership: How Social Technology Can Transform the Way You Lead」の著者であるシャーリーン・リー氏は、基調講演の中で

「ソーシャル・テクノロジーの波は既に起きていてコントロールが出来ない。
 これからのリーダーやマネジメントはいかにコントロールを手放すことが出来るかが大切である」

といった考え方を投げかけていた。そして、ベストバイやウォルマート、デルなどの具体例を紹介しながら、これから私たちがイノベーションを生み出していくためには、失敗を恐れずに寛容しながら、ソーシャル・テクノロジーの活用に一歩を踏み出し、リーダーと社員、あるいは顧客と対話を行い、学習を深めていくことの重要性を訴えていた。ソーシャル・テクノロジーの進化を踏まえて、今後の組織構造やリーダーシップのあり方についての深い考察が共有されたと言える。

高まる学習環境デザインの重要性

こうした変化や潮流を通して、人材・組織開発に携わる私たちは何を学び、考えるべきであろうか。変化に乗り遅れないようにFacebookやTwitterを積極的に活用していくのもよいが、より重要なのは、人々の学び方が大きく変化しているのに合わせてラーニングのデザインを再構築していくことである。

上述した傾向を見ても、人々の学びのあり方が、必要な知識を客観的に「理解」したり、「習得」したりするというモデルから、主体的に学習機会を見出し、体験や人々との対話を通して、「内省」「共有」「探求」「発見」「創造」を行うといったことを重視する方向にシフトしていると考えられる。コンファレンスの中では、Eラーニングの権威であるマーク・ローゼンバーグ氏を始め、様々な人が学習のパラダイム・シフトを「ラーニング2.0」と呼んでいた。

新たな学習のパラダイムにおいては、学習者のニーズを分析し、適切な学習プロセスやコンテンツを開発し、フォーマルなトレーニング機会を提供し、効果を測定するといった「インストラクショナル・デザイン」的なアプローチだけでは十分ではないと言える。経験からの学びを深めたり、学習者同士が必要なリソースや知識を交換し合ったり、コラボレーションから新たな知識を生成する場づくりを行う「学習環境デザイン」の考え方が重要となってくる。トニー・ビンガム氏は、「Holistic(全体的な)ラーニング」という言葉を用いて、より全体的な学習体験のデザインを行っていく必要があると訴えていた。

コンファレンスで発表されていた企業事例も、そうした傾向が強かった。たとえば、UPS社では、40万人を対象としたリーダーシップ開発を再設計するにあたって、「Holistic Learning Experience(全体的な学習経験)」を下表のような4つのフレームで提供していた。研修プログラムを用意するだけではなく、パフォーマンス・サポートや仕事のアサインメント、コーチングなどを通した経験からの学習、社内ウィキやブログ、ディスカッション・ボードを通じたコラボレーションからの学習、専門家のコミュニティから学ぶプロフェッショナルとしての学習などが包括的にデザインされていた。

人材・組織開発のグローバルレベルでのスタンダード化

UPS社が提示していたHolistic Learning Experienceのフレーム

上述したUPSやインテルを始め、ほとんどの企業事例でこうした学習環境のポートフォリオを設計していくことが意識されているところから、学習環境デザインは人材・組織開発を行っていく上で重要なアプローチになってきているといえるのではないだろうか。

そして、学習環境をデザインする上で、経験からの学びを深めたり、人々の関係性からの学びを拡げていくことへの意識が高まっている傾向が見受けられた。具体的には、今年は改めてコーチングやメンタリングを取り扱ったセッションが増加していた。たとえば、ジャック・ゼンガー氏は、構造的に手順の定められたコーチングを導入しながら、コーチングの文化を創り上げていくことについて話されていた。またグループ・コーチングについてのセッションも盛況で、安全なスペースを創り出すために構造化されたグループ・コーチングの仕組みを職場で使いながら、人々の内省や学習を生み出していくことが推奨されていた。このように、単にコーチングのスキルを身につける研修を行ったり、メンタリングの施策を実施するというものだけではなく、構造化したコーチングやメンタリングを仕組みとして提供し、文化へと育てていくことで学習環境を築いていこうとする動きが多く見受けられた。

ASTD2010で見受けられたもうひとつ大きなトレンドとして、人材・組織開発のフレームが、グローバルレベルでスタンダード化してきていることが挙げられる。
コンファレンス会場を歩いてみて感じるのが、ここ数年でグローバル化が大きく進んだことだ。参加者数も、米国以外からの参加者が1800名と全体の約20%を占めており、増加傾向にある。セッションの中でグループワークを行っても、米国以外の国からの参加者とグループを組んだり、発表者も、ブラジル、アルゼンチン、サウジアラビア、インド、トルコ、南アフリカ、韓国、日本と多様化してきていた。コンファレンス会場のインターナショナル・ラウンジも名称が「グローバル・ビレッジ」と変更になっており、グローバルでひとつのファミリーになっていこうというASTD側の意向も伺えた。

グローバル企業では、世界各国で働く多様な人々が、物理的な距離や文化の壁を越えてグローバルというあたかも一つの国の社員であるかのようにチームを編成したり、仕事のオポチュニティを求めて異動したりすることが当然になってきている。そうした状況の中、多くの企業で、仕事のやり方や業務プロセス、評価制度などが全世界で標準化され始めている。この傾向は人材・組織開発の分野でも進んでいて、そのスタンダードにASTDがなりつつあることが海外からの参加者が増えている背景にあると考えられる。ASTDではCPLP(Certified Professional in Learning and Performance)と呼ばれる職場の学習とパフォーマンス向上に携わる専門家向けの資格を展開していこうとしている。ここで使われている考え方や方法論が基本用語として定着し、グローバルで人材・組織開発を行っていく際の前提となる知識として扱われるようになってくることが予想される

韓国からは、390名が参加していたが、たとえばサムスン・グループだけで35名が参加しており、その大半が人事・人材開発の部署に所属するものということからも、グローバルにビジネスを展開していく際に、スタンダードを押さえておこうとする意欲が伺える。

グローバル・ビレッジには各国からの参加者が集う

実際に、各国から参加した人々の発表内容を見ても、ASTDで使っているHPI(Human Performance Improvement)やタレントマネジメントの考え方を基盤として、異なる国で働く何万・何十万の人々を対象に展開を図っている取り組みが多く見受けられた。また、どこの国から発表されるかという国籍を問わずに、基本的なプロセスが丁寧に取られており、リーダーシップ開発やHPIのお手本となるような事例が多く見受けられた。

たとえば、中国のアストラゼネカ社の発表では、セールスのハイ・ポテンシャル層に対するピア・コーチングの効果測定をテーマとして取り上げていた。そこでは、ビジネスの成果を測定する評価プロセスを戦略的にデザインし、コースの事前・事後にマルチレイヤーのサーベイを行ったり、フォーカス・グループで質的データを収集しながら適切な評価を行っていった実績が報告されていたが、ひとつひとつのプロセスがとても緻密に行われていた。
その他にも、数多くのグローバルでの取り組みが発表されていたが、特に共通していたのは以下のようなポイントを重視しているところであった。

・企業のビジョンや戦略とアライメントを取ること
・必要なステークホルダーを巻き込みながら事業ニーズを明らかにしていくこと
・モデルを明らかにしたら、全ての施策にそのモデルを適用し、
 整合性を取れるように徹底すること
・施策を展開する前にリザルトを明らかにすること

人々がより良く生きる支援を目指して

ここまでASTD2010で見受けられた今後の人材・組織開発に大きな影響を与えるトレンドとして、「ソーシャル・ラーニング」の進化とそれに伴う「学習環境デザイン」の重要性、および「人材・組織開発のグローバルレベルでのスタンダード化」について述べてきた。ASTD2010は、こうした様々な環境の変化に向き合いながら、人材・組織開発のプロフェッショナルたちが、自分たちの仕事の意義や使命について改めて問い直していくことが集合的に行われたコンファレンスであったと思う。

人材・組織開発のフレームがスタンダード化され、学習環境のデザインが整ってくると、今後ますます、必要なスキルや知識を教え込むようなアプローチではなく、人々の主体的・協働的な学習を支援していく重要性が高まってくると考えられる。そういう観点から、ASTDの中で、人々がより良く生きることを支援していこうというメッセージが多くのセッションで見受けられたことはとても意義深かった。昨年のコンファレンスでは「他の人をヘルプしよう」というメッセージがトレンドとして上げられていたが、その傾向がより強化された印象だった。

たとえば、コーチングのグルと呼ばれるマーシャル・ゴールドスミス氏は、自分が今行っていることへのポジティブなスピリットを「MOJO」というコンセプトで提唱し、人生において何が大事かを自分の内側から明らかにしていくことの重要性を伝えていた。
また、基調講演を行ったダニエル・ピンク氏は、モチベーションを高めるのに金銭的なインセンティブが与える影響に限界があることを示したうえで、Autonomy(自律性)やMastery(熟達)、Purpose(目的)といったより内発的な動機付け要因を大切にしていくことの重要性を訴えていた。

その他にも、レジェンド・スピーカーのケン・ブランチャード氏とサウスウエスト航空名誉会長のコリーン・バレット氏が行った対話形式のセッションでは、バレット氏が自分自身がどうありたいのかを内面的に深く探求したうえで、働いている人々を家族のように支援している姿に感銘を受けた人も多かったようであった。
ASTDに参加した10年間を振り返ると、毎回参加する前と後では明らかに自分自身の視座や意欲が高まっていることがわかる。それは、同じような志を持った人々と出会い、オープンに話し合い、学びあうことで、改めて自分自身が取り組んでいる仕事に対する意味が生み出されるからではないだろうか。今年は日本からも103名の人々が参加していた。来年はさらに多くの人々が日本から参加し、この喜びを共に共有していきたいと心から願う。


「企業と人材(産労総合研究所)」2010年8月5日号掲載

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