ATD(The Association for Talent Development)

ATD24インサイトレポート〜人と組織に起きているリアリティと向き合い、タレント開発の役割を革新する〜

2024年5月19日(日)〜22日(水)に、米国ニューオーリンズ・アーネスト N. モリアル・コンベンションセンターにて、ATD 2024 International Conference & EXPO(ATD24)が開催されました。本レポートでは、セッションを通じて感じたタレント開発の潮流や傾向、得られたインサイトを紹介していきます。

今回のATD24には、ヒューマンバリューから4名のメンバーが参加しました。下記の目次にあるように、それぞれの切り口・テーマからATDで行われていた議論や得られたインサイトをまとめていますので、関心のある領域を中心にご参照ください。

<目次>

  1. 1. ATD24から見えてくる人と組織を取り巻く文脈 〜なぜ私たちは物語を共有するのか〜
  2. 2. 混乱期におけるリーダーシップや組織づくりの本質とは
  3. 3. 変化を受け入れ、新たな未来を紡いでいく。VUCAの時代におけるストーリーテリングの力
  4. 4. 多様なキャリア開発のあり方を4つの観点から再考する
  5. 5. D E I(ダイバーシティ、エクイティ、インクルージョン)の現状から見えてきた課題と展望
  6. 6. ラーニング・エコシステムの進化とAIの活用

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1. ATD24から見えてくる人と組織が今置かれた文脈 〜なぜ私たちは物語を共有するのか〜

取締役主任研究員 川口 大輔

ニューオーリンズで約20年ぶりに開催されたATD:Recharge Your Soul

ATD International Conference & EXPO(ATD-ICE)は、ATD(Association for Talent & Development)が主催する世界最大規模のタレント開発に関するカンファレンスであり、毎年米国の異なる地で開催されています。

今年は、2002年以来22年ぶりとなる、ルイジアナ州ニューオーリンズでの開催でした。

米国の自然災害史上最も被害の大きかったハリケーン・カトリーナが発生した2005年から20年。一部にまだ災害の爪痕は残るものの、UIターンで帰ってきた若者や移住者が増え、2022年には、起業家の町として全米第9位に入るなど、新たな価値を生み出している側面もあるようです。歴史あるフレンチ・クオーターやバーボン・ストリートは観光客で溢れ、さまざまな文化や、新しいものと古いものが融合しながら、20年前に訪れた時とはまた異なる活気が生まれているようでした。

カンファレンス会場の脇には、雄大なミシシッピ川が流れます

また、ニューオーリンズを含む南部は公民権運動が生まれた土地でもあります。カンファレンスが開催されたアーネスト N. モリアル・コンベンションセンターには、ルイジアナ・シビル・ライツ・ミュージアムが併設されていました。1960年、ニューオーリンズでは、連邦裁の命令により2つの白人小学校が門戸を開くことになり、黒人の少女4人が新入学生として選ばれました。連邦執行官に連れ添われながら学校に向かう少女やそれを取り囲む抵抗者たちの様子が、当時の音声や写真、映像で生々しく紹介されると共に、関わった当事者たちの声・ストーリーから、その意味を学び、声を上げ、一歩を踏み出すことの意義を考える場となっています。くしくもATDにおける大きなテーマにも、ダイバーシティやエクイティが掲げられており、過去の歴史と今を生きる世代の問題意識が融合する場であるようにも感じられました。

会場に併設されているシビル・ライツ・ミュージアム

そんなニューオーリンズという土地で開催されたATD24のメインテーマは、” Recharge Your Soul”(あなたの魂を充電する)です。このソウルという言葉は、ニューオーリンズの独特の文化や背景からもたらされたものなのかもしれません。

コロナ禍を経て、人と組織に起きているリアリティと向き合う

振り返ってみると、サンディエゴで開催された昨年(2023年)のATDは、再会の喜びに包まれていたように思います。コロナ禍を経て初めて、本格的にリアル開催となったカンファレンスの場で、人に会えること、仲間と共に集えることの素晴らしさを分かち合い、80周年の記念大会を集合的にお祝いするような、そんな時間でもありました。基調講演を務めたプリヤ・パーカー氏が、「人が集うということは、生き方そのものである」というメッセージと共に、私たちのつながりのあり方を問い直していたことが印象に残るカンファレンスでした。

それから1年が経過した今、私たちはどこに立っているでしょうか。

2024年のATDは、決して楽観的になれるような状況ではない現在地を、L&Dに関わる私たちが直視することから始まっていったように思います。多くのセッションで、バーンアウト(燃え尽き症候群)、孤立、Great Resignation(大量退職)、Quiet Quitting(静かな退職)、ダイバーシティの分断といったキーワードが取り上げられていました。

特に、バーンアウト(燃え尽き症候群)の実態を取り上げたセッションが想像以上に多かったことが印象的でした。コロナ禍を経て、これまで以上に未来の不確実性や不透明性が高まったり、テクノロジーが急速に進化したり、変化に対応することの疲弊や働くことへのストレスが高まる状況に、リーダーやL&Dに携わる私たちがどう向き合うのか、カンファレンスの前半はそんなことが強く問われている印象を感じました。

”Recharge Your Soul”(あなたの魂を充電する)というカンファレンステーマも、そうした世相や職場の実態を踏まえて出てきたものと考えられます。ATDでは、毎年リーダーシップ開発に関するセッションが多く実施されますが、今年の傾向としては、リーダーの共感する力やEI・EQ(感情的知性)にあらためてフォーカスが当たっていました。また、今年よく聞かれたキーワードに、ホールセルフやホールパーソン(全人格)、ホリスティック(全体的)な人材開発がありましたが、スキルや能力面だけではなく、精神面も含めて、全人格的に自分たちのソウルを充電していこうという意図が込められていたのかもしれません。

All right, All right, All right. 〜マシュー・マコノヒー氏の言葉から学ぶこと〜

私たちが直面する現実を見つめるところからスタートしたATD 24ですが、ではそうした現実の下で、私たちはどのように魂を充電していけるのでしょうか。

そのヒントが基調講演や多くのセッションにあったように思います。

最初の基調講演には、「ダラス・バイヤーズクラブ」などの作品で知られる俳優であり、作家、プロデューサー、慈善活動家でもあるマシュー・マコノヒー(Matthew McConaughey)氏が登壇しました。ハリウッドでも最も人気のある俳優の一人が登壇するということもあり、当日の朝、会場には長蛇の列ができ、大歓声で迎え入れられました。

講演は、彼が初めて出演した映画の中で発したせりふである、”All right, All right, All right”について語るところから始まりました。マコノヒー氏は、この言葉は全てを肯定する言葉であると言います。

マコノヒー氏は、「楽観主義(オプティミズム)」を単なる前向きな姿勢とは捉えていません。「楽観主義とはサバイバル(生き残る)だと思う。そしてそれは、たとえ望むものが手に入らなかったとしても、肯定することのなんだ」と語るマコノヒー氏は、自分が信じたものが手に入らなかったり、不快に感じることに遭遇しても、シニシズムに陥るのではなく、それを肯定し、人生の一部として受け入れ、どう対応していくかが重要であるということを自身のキャリアや体験と照らし合わせながら語っていました。

その他にも、困難に備えるためには準備が必要であること、準備とは、予期せぬ事態が発生したときに適応し、最善の決断を下すことを可能にする、脚本のようなものであること、恐れは有用ではあるが、同時に自分たちの行動を制限するものでもあること、ミスを受け入れ、それを学習経験とすることなどのメッセージが聴衆に響いていました。

”All right, All right, All right”と唱えることは、これからの未来に不安を抱きながらも、バーンアウトせずに私たちがサバイブするマインドセットを象徴するような言葉であるかもしれません。このせりふは、1993年に公開された映画『バッド・チューニング』(原題:Dazed and Confused)に登場するものですが、原題を直訳すると「呆然と混乱」といった意味になります。基調講演が終わった後のさまざまなセッションの中でも、スピーカーたちが、マコノヒー氏の言葉を引用して、”All right, All right, All right”とセッション中に語っていましたが、その姿が、現代における呆然とするような事態や混乱に向き合おうとしているようにも見え、印象的でした。

不確実な未来を歩むための行動指針 〜ダニエル・ピンク氏の言葉から学ぶこと〜

それでは、厳しい状況をオプティミスティックに受け入れた上で、私たちはどのように前に進んでいけばよいのでしょうか。

3日目に行われたダニエル・ピンク(Daniel Pink)氏の講演にもそのヒントがあったように思います。ピンク氏は、ビジネスにおける創造性や行動について深い洞察を与えてくれるベストセラー作家であり、日本においても著作『ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代』(三笠書房、2006年)、『モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか 』(講談社、2010年)などで広く知られています。今回は、「5 Ways to Navigate What’s Next(次に起こることをナビゲートする5つの方法)」というテーマで基調講演を行いました。

ピンク氏は、多くの混乱や変化に見舞われる現在において、次に何が起きるのかを予測することはそもそも不可能であると述べます。その上で、私たちは今、複雑な問題を整理する「グレート・ソーティング(偉大な選別)」の段階にあるとのことでした。

例えばそれは、「どんな仕事が一人でできて、どんな仕事は集団で行うべきなのか?」「AIは私たちが何を、どこで、いつ、どのように学ぶことを代替するのか?」「オフィスとは何のためにあるのか?」「どのようにすれば、家庭を犠牲にすることなく、仕事ができるのか?」といった本質的な問いに答えることです。

しかし、ピンク氏は、こうした複雑な問いは考えて答えが出るものではないとも述べます。私たちがこれらの疑問に答える方法とは、何が起こっているのかを理解するために行動することにある、つまり行動を通じて理解を深めることにあるとのことでした。

そして、ピンク氏は、どんな行動が私たちの理解を深め、未来に進むことを後押ししてくれるのかについて5つの方法を提示しつつ、それを実践に移すための具体的なティップス(コツ)や習慣の築き方を、豊富なエビデンスやピンク氏自身が行ったリサーチを基に紹介してくれました。

1つ目は、「To Doリストではなく、To Don’tリスト(やらないことリスト)を作成する」です。足し算で考えがちな私たちのバイアスを外して、引き算で考えることの大切さを示しつつ、自分のエネルギーを下げるようなこと、大事な目標に向かいづらくさせるものを3つ特定し、それをやらないリストにすることが挙げられました。

2つ目は、「進歩の儀式をつくる」です。小さな変化でもよいので、毎日30秒を使って、その日に進歩したことを3つ挙げることを提唱します。進歩している感覚が仕事の意味を深めるのです。

3つ目は、「Howの会話を減らし、Whyの会話を増やす」です。1週間の中でHowの会話を2つ減らし、Whyの会話を2つ増やすことで、目的意識を高めていくことにつながるといった具体的な指針が示されました。

4つ目は、「ブレイク(休み)を取ることをパフォーマンスの逸脱として捉えるのではなく、その一部であると捉える」であり、どんな種類のブレイク(休み)が有効なのかが示されました。そして「毎日午後15分、好きな人と外で歩きながら休憩を取り、携帯電話を置いて仕事以外の話をする」といったコツが共有されました。

そして最後の5つ目は、「より大胆に行動する」です。ピンク氏が行ったWorld Regret Surveyの中で、人が最も後悔することの1つは挑戦をしてこなかったことにあるとのことです。例えば、10年後のあなたは、今のあなたに何をして欲しいと思うかを考えるなどして、大胆な行動を起こすことを奨励していました。

科学的な裏付けに基づいたピンク氏の洞察は多くの気づきにつながり、スピーチの素晴らしさと相まって、私を含めた多くの参加者が勇気づけられたセッションであったように思います。

特に興味深いと感じられたことが、ピンク氏が抽象的な考え方や大きなビジョンを示すのではなく、「2つ増やす」「3つ挙げる」といった極めて具体的で、かつハードルの低い指針や習慣を示していたことです。不確実な未来はそもそもコントロール不能ですが、自分がコントロールできる行動の確実性を高めることが、不安定の中に安定を生み出します。そして、そこで立ち止まって動けなくなってしまうのではなく、小さなことから行動していくことで、自分の視界を広げ、結果として未来をナビゲートすることにつながるという考え方は、今後の私たちがキャリアの築き方や生き方をどう考えるかに影響を与えるように思います。

物語を語ることが、私たちの価値観と行動を統合する:Recharge Your Soulが意味すること

ここまで2人のキーノート・スピーカーのメッセージから不確実な時代に未来を歩む洞察を得てきましたが、それらの考え方、価値観、行動を統合するものとして、ATD24の中で殊更注目されていたのが「物語」であったように思います。

3日目と4日目の基調講演の前段では、コミュニティ主導のストーリーテリング・プロジェクトを展開するDear World財団の創設者ロバート・X・フォガーティ(Robert X. Fogarty)氏によるファシリテーションの下、聴衆全員が参加するセッションが開催されました。

フォガーティ氏は、個人が自分の皮膚に何か大切なことを書き、それを写真に撮る「ブレイン・タトゥー」という手法をもとに、世界にストーリーテリングを広めている一人です。

フォガーティ氏が進めているプロジェクトは、ハリケーン・カトリーナ直後のここニューオーリンズで生まれました。フォガーティ氏は復興に向けた活動の一環として、自分たちの街のどこが好きかを短い言葉にして、自分の体のどこかに書き出して、それを写真に撮るということを行っていたそうです。ところが、ある日、1人の男性から、がんで苦しむ妻に対して自分が大切にしているメッセージを書き出したいという依頼を受けたそうです。そこから、フォガーティ氏の活動は、一人ひとりにとって意味深いメッセージをブレイン・タトゥーとして刻み、物語を発信することに切り替わっていったということです。フォガーティ氏は、「全ての人の中に、共有すべき物語があるのです」と語ります。

セッションでは、フォガーティ氏のリードの下、それぞれ自分にとって意味のある言葉を1つ選び、その言葉にまつわる思い出を3つ書き出し、周りの人とシェアするというエクササイズが行われました。それは短い時間でしたが、自分が大切にしている価値観やビリーフを振り返り、再構成していく内省的な時間であった気がします。

そして、最終日に行われたジェネラル・セッションにおいて、その日の基調講演を務めるテニス界のレジェンド、ビーナス・ウィリアム氏が現れる前に登壇したのは、前日にストーリーを語っていた名もなきカンファレンスの参加者たちでした。

カンファレンスに参加した一般参加者の3名が、数千名の聴衆が集まる会場にいきなり現れ、自分がどんな価値観を大切にしているのか、なぜそうした価値観を大切にするに至ったのか、自分がどんな苦しみを抱え、それを受け止めてきたのか、その経験をパーソナルストーリーとして語り、そこにいる全ての人が耳を傾けたのです。これまでのATDの歴史の中で、こうしたことは初めてだったのではないでしょうか。

3名のストーリーは、決して派手なものでも、何か教訓を得られるものでもなかったかもしれません。しかし、ビーナス・ウィリアムスのような特別な存在の人が物語をもつのと同様に、全ての普通の人々も物語をもっていることを感じられる素晴らしい時間でした。

フォガーティ氏たちのDear Worldプロジェクトも、ニューオーリンズの復興の中から育まれてきた営みですが、ナラティブ・セラピーにおいて物語を語る行為は、人々に癒しをもたらすものでもあります。

物語を語る行為を通して、私たちは苦しんだ過去の経験にも意味を与え、肯定することが可能となります。それは、マシュー・マコノヒー氏が語った、”All right, All right, All right”に通ずるかもしれません。

そして、物語を語る行為よって、私たちは不確実性の中から確実なものをソートし、未来を航海するための羅針盤を得ることができます(できるのです)それは、ダニエル・ピンク氏が語ったこれからの生き方に通ずるものと言えるかもしれません。

コロナ禍を経て、一時的な喜びが過ぎ去った私たちが、バーンアウトをはじめとするさまざまな問題や傷ついた心と向き合うことを余儀なくされている現実を直視することからスタートしたATD 24。そこで大切にされていたのは、一人ひとりの物語を解放すること、それを仲間や世界と共有すること、そしてそこから未来に向かう今を整えること。Recharge Your Soulの本質はそこにあるのではないでしょうか。

そして、それこそがラーニング&ディベロップメントのプロフェッショナリティをもつ私たちが、世界をより良い場所にするためにできることなのではないか、という問いかけが全体の文脈であったように思います。ATDのチェアマンが、「全てはラーニングを通して可能になる(All made possible by LEARNING)」と述べていたことも印象的でした。

前述したシビル・ライツ・ミュージアムの一角には、次のようなメッセージが記されていましたが、くしくもATDという私たちの物語を表してくれているようにも聞こえました。

“Only one person’s movement is needed to activate the story but everyone can share the experience”(物語を活性化させるために必要なのは1人の動きだけだが、誰もがその体験を共有できる)

ミシシッピの風を感じながら、仲間と共に学びについて学び続けた4日間。その余韻を楽しみ、消化・昇華させながら、この学びを日本においても語り、共有していきたいと思います。

2. 混乱期におけるリーダーシップや組織づくりの本質とは

取締役主任研究員 長曽 崇志

今年のリーダーシップ&マネジメント開発のトラックを貫くコンセプトとして見受けられたのは、混乱期におけるリーダーシップやマネジメントのあり方です。パンデミックの終息を経て、いったん落ち着きを取り戻したかのように見えた個人や組織の状況は、依然として厳しい様相を呈しているようです。その背景には、主に、イノベーション創出への更なる期待値の増加、新たな役割や業務に適応するアップスキリング、リスキリングの加速に伴うプレッシャー及びストレスに起因した疲弊やバーンアウト(燃え尽き症候群)が拡大していることが挙げられます。

そうした状況の中で、リーダーはどのようなリーダーシップを発揮し、組織やチームをマネジメントしていけばよいのでしょうか。

そうした問いに向き合うにあたり、参考になりそうなセッションの紹介をしながら、探究を深めたいと思います。

リーダー自身の内面を整え、磨く

「Want Engaged Employee_ Better Have Engaged Leaders!(エンゲージした従業員が欲しいなら、エンゲージしたリーダーがいたほうがいい!)」のセッションでは、従業員のエンゲージメントを高めるためには、リーダー自身のリーダーシップの質を向上させることが重要であるといったメッセージが打ち出されていました。

登壇者であるウィルソン・ラーニングのトム・ロス氏が唱えるリーダーシップの質とは、リーダーが組織に注ぎ込む「従業員の裁量を尊重するエネルギーの度合い」のことを指しています。リーダーが組織に注ぎ込むエネルギーが高ければ、それに応じてメンバーのエンゲージメントが上がりし、低ければ、メンバーのエンゲージメントは下がると指摘しています。ギャラップ社のグローバルワークフォース調査(2023)によれば、従業員の59%が職場で非活動的な「宙ぶらりん」の状態になっており、これはリーダーが組織に十分なエネルギーを注ぐことができていないことに起因している場合が多いようです。この状態では、エンゲージメントの低下だけでなく、従業員のパフォーマンスの低下、離職率の増加、組織全体の生産性の低下にもつながるようです。

こうした状態から脱却していくためには、リーダーのエネルギーを取り戻していく必要があるとして、以下の3つのポイントが紹介されました。

1. 自己認識と明確化
リーダーシップの核であるエッセンス(本質)とフォーム(形)を統合することで、リーダーのエネルギーを充填していく。エッセンス(本質)とは「BE」のこと。リーダーとしてどうありたいのかを内省するなど、自身の内面の価値観、信念、哲学に関わるもの。フォーム(形)とは「DO」のこと。リーダーとして何に取り組む必要があるのかといった行動に関わるもの。

2. サポートネットワークの構築
信頼できるアドバイザリーボードを設置し、助言やフィードバックを受けることで、新たな視点やエネルギーを得ること。

3. 他者への奉仕
部下やフォロワーの目を通して自分のリーダーシップを見つめ直し、彼らに対する貢献を振り返り、エネルギーの源を確認すること。

また、上述のセッションと類似したテーマの「How executives transform their organizations through deep personal work(エグゼクティブは深い個人ワークを通じて、どのように組織を変革するか)」では、より良い組織変革を推進する上で、エグゼクティブリーダーの内面のコンディションをいかに整えることが大切であるかについて、オランダのリーダーシップの専門家によって紹介されていました。

人の内面の状態には、レッドウルフという「回避状態」と、グレーウルフという「アプローチ状態」の2つがあるとのことです。「回避状態」とは、危険な環境に置かれたと察知した時に発動する、エゴ、評価判断、怒り、嫉妬といったネガディブな心と体と雰囲気になるモードです。一方、「アプローチ状態」とは、安全な環境にいると感じる時に発動する、賢明、勇気、平和など、ポジティブな心と体と雰囲気になるモードです。

この内面の状態は周囲に伝染する特性があるため、リーダーが「回避状態」になると、チーム全体も同じ状態になりやすいようです。そうなると、チームの心理的安全の低下、信頼度の低下、協力の困難、会話の減少などのマイナスの影響が生じてしまうのとのことです。

そこで、リーダーは自分の内面の状態を深く観察する取り組みを通して、「アプローチ状態」を維持することが大切となります。

具体的には、以下のような取り組みが紹介されていました。

• 内省を通してリーダーが自身の反応的な行動パターンを深く理解し、自己認知を高める

➢ユニリーバでは、ディレクターは毎週1回、自己内省の時間を設け、助言を求めている

• 曖昧さとリスクを受け入れ、自己や他者への信頼を形成する

➢P&Gでは、コマーシャルディレクターは評価判断を保留することで、扁桃体のハイジャックを回避し、現実を見極めるようにしている

• 回避状態からアプローチ状態へのシフトを実践する

➢マッキンゼーでは、下記の3つの観点でリーダーのウェルビーイングを支援している

✧身体:良質な睡眠、運動、栄養

✧思考:良質な瞑想、内省、マインドセット

✧心:良質なパーパスづくり、趣味の時間の確保、自然とのつながり、大切な人とのクオリティータイム、結果に執着しないような楽しみの発見

• 共感とコンパッションを通じた真の関係構築と相互学習の促進

➢アラムコ石油では、CFOが会議の冒頭で音楽をかけながら、個人的なテーマのシェアを行う

• 直感、感情、予感を大切にし、誠実さと信頼をもって話すことができる場をつくる

➢PWCのシニアパートナーは、評価を求めず、何かを証明したりする必要がないということを自ら宣言して、変革を受け入れるようにしている

より効果的なリーダーシップを発揮するにあたり、自分の思考や行動パターンをメタ認知し、BEを育んでいく実践は以前から知られており、新しい取り組みではないかもしれません。一方、変化が常態化している時代において、リーダーにのしかかるプレッシャーやストレスなどの負荷も看過できない水準になっているかと思います。そうした背景から、リーダー自身が自分の内面と向き合い、心身のケアを行うことは、より良く働き、生きる上で、もはや欠かせない習慣であり、日本においても組織的なイニシアチブとしての広がりが期待されるでしょう。

組織のエンゲージメントやレジリエンスを高めるリーダーシップ

ここでは、混乱期において組織のエンゲージメントやレジリエンスを高めるリーダーシップのあり方をテーマとして扱った3つのセッションの紹介を通して、その背景やポイントについて見ていきたいと思います。

1つ目の「Help Employees Thrive Amid Disruption(混乱の中で社員が成長するために)」では、これまでの常識や前提が破壊されるような変化によって引き起こされた混乱状態を示した「ディスラプション」の時代を生き抜くリーダーのマネジメントのあり方について紹介されたセッションです。登壇者は、エンゲージメントサーベイのQ12やストレングス・ファインダーなどで世界的に著名な調査会社である米国ギャラップ社で、マネージング・ダイレクターを務めるクリステン・リプトン氏でした。

ギャラップ社が行ったディスラプションの影響についての調査によれば、従業員の10人に7人は、最近、自組織でのディスラプティブな変化を経験しているとのことです。具体的には、従業員の60%が過去1年間で新しい仕事を任され、業務内容が変化したことが大きなストレス要因となっているようです。それに伴い、従業員のエンゲージメントの低下、バーンアウト(燃え尽き症候群)や離職リスクが増加するなど、リーダーと従業員との間の関係性に溝が生じやすい状況が起きています。

そうした状況を打開するために、リーダーが意識するポイントとして挙げられていたのは、「信頼」「コンパッション」「安定」「希望」の4つです。

1. 「信頼」:従業員と信頼関係を構築することであり、常に正直であること、誠実であること、尊重すること
2. 「コンパッション」:従業員の苦しみを理解し、和らげることであり、相手の感情に寄り添い、受け止め、行動すること
3. 「安定」:従業員に精神の安定をもたらすことであり、透明さと明確さをもって接すること
4. 「希望」:未来の可能性に焦点を当てることであり、従業員に対して向かうゴールを示し、動機づけ、実現に向けての道筋をつけること

これらの4つのポイントを踏まえ、リーダーは従業員に対して具体的にどのように支援しているかというと、例えば、対面、非対面にかかわらず、毎週、従業員と意味のある1on1フィードバック面談の場を設けているようです。面談においては、リーダーは、従業員の声に丁寧に耳を傾け、置かれた状況やその背景にある感情とニーズの理解に努め、その上でニーズに応える行動を取るようです。こうした面談の積み重ねによって、リーダーと従業員との間の溝が徐々に埋まり、エンゲージメントが向上するとのことでした。また、組織全体で共有される明確な目標とその実現方法の明示も重要なようです。目標設定により、従業員は自分の役割を理解し、組織の戦略にどのように貢献するかを明確に把握することができます。さらには、従業員が未来に対して希望を感じられ、楽観な捉え方や自己効力感がもてるように、リーダーはより良くなる未来像とその実現に向けた具体的な道筋を示すことも効果的なようです。

最後に示された、取り組み事例の結果のエビデンスによれば、実施前と比べて、「信頼」は2倍に高まり、「コンパッション」は、離職の低下と意欲向上に伴う業績向上をもたらし、「安定」は9倍に高まり、「希望」は1%高まったとのことです。

本セッションに参加してみて最も印象に残ったことは、混乱期に従業員が感じやすい不安や恐れといった感情に寄り添いながら、彼らの精神に安定をもたらし、希望へと転じさせるリーダーの関わり方です。先を見通すことが難しい環境にいるからこそ、安定と希望をもたらすリーダーシップを高めることは、ますます重要になると思います。

次に、2つ目として、AI時代におけるリーダーシップのあり方をテーマとしたセッションを紹介いたします。

「Human-Centered Leadership_ Your Edge in a World of AI(人間中心のリーダーシップ:AIの世界におけるあなたの強み)」では、AIが普及する現代社会における人間中心の「ヒューマンセンタード・リーダーシップ」が、組織や個人に与える影響や、AIと人間との共存を通して生まれる相乗効果について、米国のリーダーシップの研究機関であるCCLによって紹介されました。

ヒューマンセンタード・リーダーシップとは、個々のメンバーの能力やポテンシャルを最大限に引き出すことを指しています。それは単に業績を上げるだけでなく、従業員のエンゲージメントや満足度を高めることを意図しているようです。特に、AIがもたらす変化や不確実性に対処するためには、人間中心のアプローチが不可欠であると力説されていました。

AIがもたらす効率性や生産性の向上と同時に、人は変化への適応が求められます。ハーバード・ビジネス・レビューによると、リーダーはAIがもたらす脅威と脆弱性を感じており、変化に対して抵抗が生じることが自然であると捉えているようです。この抵抗に対処するためには、リーダー自身が変化に柔軟に対応し、従業員をサポートすることが重要とのことです。

具体的な事例としては、FedExでは、AIを活用して物流の効率化を図り、配送の精度を向上させました。これにより、顧客満足度が向上し、ビジネスの成長にも貢献したようです。その際、従業員の意見を積極的に取り入れ、事業運営に反映することで、自分たちの役割に誇りをもてるような環境をつくり出すことにも注力し、結果としてエンゲージメントも高まったようです。

ヒューマンセンタード・リーダーシップを育むためには、以下のスキルを高めることが求められるとのことです。

1. クリティカルシンキング:情報を分析し、戦略的な意思決定を行う能力
2. 適応力:新しい状況や技術に迅速に対応する力
3. エモーショナル・インテリジェンス(EI):自分や他者の感情の認識し、適切に対応すること
4. コミュニケーションスキル:明確かつ一貫したコミュニケーション
5. 創造性と革新:新しいアイデアを生み出し、直面する問題を解決する

AIの普及は人々にさまざまな恩恵をもたらす一方、仕事を失うかもしれないといった雇用への不安を引き起こしやすくなります。だからこそ、リーダーは変化に柔軟に対応し、従業員がもつ強みやポテンシャルを生かすことで、組織の持続可能な成長に貢献することが、役割としていっそう期待されるのではないでしょうか。本セッションからは、そのためのリーダーシップ開発の重要性を実感することができました。

そして、3つ目の「Nurturing Resilient Leadership: Developing Hardiness and Emotional Intelligence(レジリエント・リーダーシップの育成:ハードネスとエモーショナル・インテリジェンスを開発する)」では、パンデミックを経て、危機を乗り越え、ハイパフォーマンスを生み出し続ける組織の研究から見えてきた「レジリエント・リーダーシップ」について、臨床心理を専門としたカナダのスティーブン・ステイン博士によって紹介がなされました。

ステイン博士によれば、ビジネスを取り囲む環境の不確実性が常態化している今日において、組織で働くリーダーや従業員は、恒常的にストレスを感じることが多くなり、バーンアウト(燃え尽き症候群)のリスクが高まっているとのことです。そうした状況下では、リーダーと従業員の双方が、いかにレジリエンスを高めるかが重要であるとのことでした。そこで、レジリエンスを高めるステップとして3つのことが挙げられていました。

1. 個々人の原動力となる、大切にしているバリューの醸成を出発点にすることです。そうすることで、家の基礎のようにリーダーシップとしての基盤ができるようです。
2. 日々の仕事のストレスに対処するために、自分の仕事に対する捉え方をネガティブからポジティブへとシフトし、グロース・マインドセットを高めることです。
3. ハーディネス(頑強さ)を育むことです。ハーディネスとは米軍で長年研究され、実証されたストレスへの対応力を高めるアプローチであり、こちらも以下の3つで構成されています。

①コミットメント:「自分は何を本当は実現したいのか」といった大きな目標をもつこと。人は大きな目標をもつことで、小さなことをあまり気にしなくなる

②コントロール:自分の外側に起きることではなく、自分が影響を及ぼすことができる自身の内側に起きることにフォーカスを置いて制御を利かせること

③チャレンジ:変化を試行錯誤するためのチャレンジの機会として捉え、修正を重ねながら挑み続けること

そして、レジリエンスを高める3つのステップをより効果的なものとするために、エモーショナル・インテリジェンスを活用することが推奨されていました。具体的には、まず、自分や相手の中にある感情の情報を正しく認識することです。次に、自分や相手の中にある感情の情報をマネジメントすることです。最後は、物事がうまく進むための行動に必要となるエネルギーをもたらす感情を意識することです。リーダーは特にこれらの3つを実践すると、チームメンバーの仕事への満足度や成果の向上にもつながり、民主的な行動を取れるようになるとのことです。

このセッションを通じて印象的だったのは、個人のレジリエント・リーダーシップの軸を形づくることから周囲にもより良い影響をもたらすアプローチまで、体系的に整理されていることでした。レジリエンスの必要性を感じている多くの組織や個人に参考になるセッションでした。

全体を通じての所感

ATDのテーマである「Recharge Your Soul」について、基調講演を通じて感じたことと、今回参加したリーダーシップ&マネジメントに関するセッションの内容やメッセージとのシンクロニシティを実感した体験でした。それは、混迷の時代に生きる私たちは、自身の外側の出来事に反応するのではなく、内側の今を観察し、そこに秘められた自身の大切なリソースにアクセスすることで、未来を切り拓くエネルギーを取り戻していくことです。

リーダーシップやマネジメントの発揮度を高めるためのテクニックやスキルに安易に飛びつくのではなく、自身の価値観や信念に基づいて、自分がどうありたいか、何を実現したいのかといった基盤を整え、メンテナンスしていくことがリーダーシップの本質であるということです。そして、その想いや意図をもって、共に働く仲間の内側にある大切なリソースに働きかけながら、日々の事業運営や組織づくりを進めていくことが、変化に対してしなやかに適応していく組織文化の醸成にもつながり、結果として、より良い価値創造やパフォーマンスの向上をもたらすものと思います。

3. 変化を受け入れ、新たな未来を紡いでいく-VUCAの時代におけるストーリーテリングの力

研究員 萩森 聖香

ここ数年、ATDにおいてストーリーテリングへの関心が高まっています。これまでのATDでも扱われてきたテーマですが、今年特徴的だったのは、ストーリーテリングを直接にはテーマとして扱っていないセッションでも、スピーカー一人ひとりが、内容やメッセージを話すと共に、「自分のストーリーを共有すること」に価値を置いていたように感じられた点にあります。

ここではセッションごとにさまざまな観点で語られたストーリーを紹介しながら、コロナが明けて約1年が経った今、あらためてストーリーテリングが私たちにとってどんな意味をもつのかについて考えてみたいと思います。

バーンアウト(燃え尽き症候群)を緩和し、活力ある文化をデザインする

今年のATDでは、社会的に直面しているさまざまな課題を直視するところから始まりましたが、特に大きく取り上げられている印象があったテーマが、「バーンアウトの実態」です。

このバーンアウトについても、ただ課題や施策が述べられるだけでなく、スピーカー自身の体験や、そこに自分が当事者の一人としてどう向き合ってきたのか(いるのか)ということが語られている印象がありました。

例えば、「Burnout Prevention Beyond Bubble Baths(バブルバスを超えるバーンアウト防止策)」のセッションでは、燃え尽き症候群の根本原因を文化的な背景にさかのぼって探求し、それを踏まえて対応方法を検討する場となりました。

セッションでは、まずピューリタンの歴史にさかのぼって物語が展開されました。当時信じられていたのは、「一生懸命働くことが良い人間になる方法であり、それは1人で行う場合にのみ実現する」という思想でした。こうした思想が資本主義社会においてさらに加速し、アメリカンドリームをつかむ方法として、今の時代にも根付いているということです。

そして、コロナ禍で加速したハイブリッドワークによって勤務時間の境界が曖昧になり、自分の状態に気づき、ストレスサイクルを止める行動を取りづらい状況が生まれ、バーンアウト(燃え尽き症候群)が爆発的に増加したのだそうです。歴史的な物語から、私たちの価値観がどのように形成され、今に至っているのかを考えることは興味深いと言えます。

続いてセッションでは、現代のように不確実性や不透明性の高い時代においても、ストレスをコントロールするバランス感覚を育み、誰もが活力あふれるような文化をデザインする方法として、4つのRを実践することが紹介されました。

4つのRとは、Rest(休息)、Rejuvenation(若返り)、Realignment(再調整)、Reconnection(再接続)のことです。Rest(休息)では睡眠やマッサージ、旅行などによって体をケアすること、Rejuvenation(若返り)では自分が楽しいと感じることや好きなこと、楽しめることをスケジュールに組み込むことが勧められていました。

こうした活動を通して、自分は何者なのかを考えたり、他者にとって必要な存在であり、愛されていることを思い出すRealignment(再調整)を行い、その際に自分が正直でいられる人とつながるReconnection(再接続)が重要だということでした。

スピーカーの著書The Culture of Burnoutには副題として次の言葉があります。

Why Your Exhaustion is Not Your Fault”(疲労はあなたのせいではない理由)

セッションの中でも、バーンアウト(燃え尽き症候群)はあくまで文化的な課題であり、個人の責任ではないということが力強くメッセージされていました。しかし、その文化は一人ひとりの思考や行動の習慣によって少しずつ出来上がっていくものでもあります。

セッションの中では、スピーカーであるドネリー氏と、研究パートナーであるエリン氏自身のバーンアウト経験や4つのRについても語られました。同じ「バーンアウト(燃え尽き症候群)」でも、人によってそうなる背景や場面も異なれば、4つのRの実践方法も異なります。一人ひとりが自身のストーリーに根ざした4Rを実践していくことで、文化全体をも変えていくことができるだという示唆を与えてくれるセッションでした。

目標を手放さず、常に最善を選択するReVisionary Thinking

バーンアウト以外にも、私たちが日々直面する課題の中には、自分たちの力ではどうにもコントロールできないこともあるでしょう。そうした中でも目標に到達することを諦めるのではなく、そこに向かう道筋を柔軟に変更し、前進する方法について示してくれるセッションもありました。

「ReVisionary Thinking: The Science and Strategy of Adapting to Change(リビジョナリー・シンキング:変化に適応するための科学と戦略)」では、リビジョンの大切さとその実践方法が紹介されましたが、ここでもスピーカーであるクラーク氏のライフストーリーが共に語られました。

スピーカーは26歳の時にがんを患いました。仕事では出世し、結婚し、子どもも授かり、「極めて完璧な人生」を歩んでいた時の出来事でした。当時描いていたライフプランは打ち砕かれますが、その後の度重なるがんの転移や他の病気の併発という経験を経て、素晴らしいプランが1つあるかどうかが重要なのではなく、目的のためにプランの書き直しをどれだけいとわないかが重要だということに気づき、研究を行ってきたのだそうです。

そのようなReVisionary Thinkingを実践していく時、3つ段階があるということでした。第1段階は計画を手放すこと、第2段階は選択肢を増やすこと、最後の第3段階は選択肢の中から最善のものを選ぶことであり、特に第2、第3段階において重要になるのが、ストーリーを共有し合うことだということでした。

多様なストーリーを聞くことで、それが自分の人生の選択肢になり、少しでも多くの選択肢を持つことで最善の選択肢を見つける可能性も高まるのです。

さらに、クラーク氏はReVisionary Thinkingを実践する第3段階の次に、3.5段階目があると言います。それは、第1〜3段階を経ることで、自分の体験に意味や目的を持たせることができるようになり、そのストーリーを共有することで誰かの新たな選択に役立てる段階です。

ニューオーリンズでかつて行われた公民権運動の際にも、人種や民族、思想など、多様なバックグラウンドを持つ人たちが自由と平等を求めて混ざり合うことになりましたが、さまざまな混乱が起こる中でも変化に向き合い、一人ひとりが持つストーリーを共有し合うことで混乱を乗り越え、共に新たなストーリーを紡いでいったのかもしれません。カンファレンスの開催地が持つストーリーと共に、そんなことに思いをはせたセッションでした。

AI時代におけるストーリーの重要性〜脳科学の観点から〜

また、ストーリーテリング自体の効果について、脳科学的な観点から紹介していたセッションもありました。「The Generalists Take Over: Lateral Thinking in the Age of AI(ジェネラリストが引き継ぐ:AI時代のラテラル・シンキング)」では、ラテラル・シンキングをトレーニングする方法として、ストーリーテリングの効果について紹介されました。

ラテラル・シンキングは、日本語では「水平思考」と呼ばれるもので、ある事象をさまざまな角度から捉え、常識にとらわれることなく、新たな発想を生み出す思考法と言われています。現在のAIの台頭は、仕事や生活を便利にする反面、私たちが向き合う環境や選択肢の複雑性をますます高めることにもつながっています。そうした複雑な時代における問題に向き合うには、一直線にトンネルを掘るような垂直思考ではなく、さまざまな知識にアクセスし、それらの情報を利用して、新たな可能性を探る水平思考が求められるということでした。

そんなラテラル・シンキングのトレーニング方法として、ストーリーテリングがもたらす脳科学的な影響について、次の3つが紹介されていました。

1. ストーリーにより脳のミラーニューロンが活性化され、他者の状況に自分を置き換えて考える認知的柔軟性が高まる

2. ストーリーにより、パターン化された思考が崩されることで驚きが生まれ、共感性が高まり、状況に対して適切にアプローチできるようになる

3. ストーリーにより自身の思考プロセスをメタ認知する能力が高まり、創造性が高まることで、課題に対して最適なアプローチ方法を取ることができるようになる

こうした影響によって、結果としてラテラル・シンキングの力が高まるということでした。
ストーリーテリングが、AI時代に求められる思考法であるラテラル・シンキングのトレーニング方法として紹介されたのは、新たな切り口であると言えます。AIの発達がさらに進んでいくこれからの時代でも、一人ひとりが自身のストーリーを自覚し、語ることの重要性はさらに増していくのかもしれません。

リーダーが価値観を行動に移すための洞察

L&Dに携わる私たちに、ストーリーテリングを活用した実践のヒントを与えてくれるセッションもありました。

「Helping Leaders Put Values Into Action(リーダーが価値観を行動に移すための支援)」では、コロナ禍においてかなりの打撃を受けたデルタ航空において、同社が築き上げてきた文化を守り続けるため、さまざまなバックグラウンドを持つリーダーたちが、お互いの文化や価値観についてのストーリーを共有し合うという取り組みが紹介されていました。

デルタ航空では、新たにリーダーになった社員と、長い間リーダーとして組織を率いている社員同士が、自社の文化や価値観が揺らぐような危機的なシナリオについて対話する機会を設けるのだそうです。実際にその場で投げかけられている問いが下記のように紹介されていました。

・What is a story about a time you were challenged to do so?
あなたがそうする(組織の価値観を生きる)ことに挑戦した時のエピソードを教えてください。

・How have you experienced your organization’s values being lived out by others?
あなたの組織の価値観が、他の人によって実践されているのをどのように経験しましたか?

このようなストーリーを語り合うことで、自分たちが文化や価値観をどのように受け止めているかを振り返り、それらと感情的につながることで、リーダー自身が文化や価値観を内面化し体現できる「文化の担い手」となるのだそうです。

こうした取り組みを通して、社員一人ひとりもデルタ航空の文化や価値観を深く理解し、つながりを感じられるようになり、コミットメントが生まれ、会社全体に浸透していくのだということでした。

またセッションで伝えられたストーリーは、The Steepest Climb: How Delta Air Lines Navigated the Global Pandemic(最も厳しい登り:デルタ航空はいかにして世界的なパンデミックを乗り越えたか)という長編映画になっており、公式サイトから視聴することができます。当時、現場の最前線にいた社員や顧客がインタビュー形式で語るストーリーにぜひ触れていただけたらと思います。

ここまでストーリーテリングという切り口から、さまざまなセッションについて紹介してきました。コロナが明けた今、あらためてこのテーマが取り上げられた意味とは何だったのでしょうか。私は、ストーリーテリングが人間にしかできない行為だからではないかと思います。

今回参加したセッションで提示された情報は、もしかすると目新しいものは少なかったかもしれません。しかし、セッションでは多くのスピーカーが自身の経験を語ったり、他者の経験を語り直したりする形で進められ、単なる情報だけではない、そこに至るまでの苦悩や葛藤、試行錯誤、手を差し伸べてくれる人の存在など、多様なストーリーがありました。そして、セッションに参加していた私たち一人ひとりは、「自分だったらどうするだろうか?」と思いを巡らせ、シーンを描き、多様な学びや教訓として昇華させていたのではないかと思います。

そう考えると、簡単にうまくいってしまうことよりも、むしろ失敗ばかりであったり、うまくいかずに頭を抱えたり、複雑な道のりを進んだりすることの方が、価値があるとも言えるかもしれません。それは生成AIではなく、人間にしかできない行為とも言えるのではないでしょうか。

人間だからこそ語ることのできるストーリーを紡ぎ、実現したい新たな未来に向けて、AIと共に可能性を探っていく。それが今年のATDで、このテーマが取り上げられた意味だったのではないでしょうか。

4. 多様なキャリア開発のあり方を4つの観点から再考する

研究員 上田 桂子

毎年ATDでは、タレント開発に取り組む人たちに向けたメッセージが語られますが、今年はATDのチェアマンから、「さまざまな異なる分野から、タレント開発の領域に入ってきた私たちに共通するのは、他者の人生に違いを生み出すことを支援することで、世界をより良い場所にしたいという想いをもっていることである。そして、それは全て、ラーニングを通して可能となる(All made possible by LEARNING)」といった投げかけがありました。

この「他者の人生に違いを生み出す支援」の中心となるのが、キャリア開発と言えます。キャリア開発はATDの主要なトラックの1つで、今年も23ほどのセッションがありました。

本レポートでは、パンデミック後のキャリア開発のあり方を考える上で、特にキーワードとなりそうな「キャリア・モビリティー」「Z世代のキャリア観」「マイクロ・メンタリング」「心理的安全性の文化」の4つの観点から、カンファレンスで行われていた議論を紹介できればと思います。

インターナル・キャリア・モビリティー(社内のキャリアの流動性)を高めるマインドセット

最初は、ATDで(orが)扱うキャリア開発の代表的な存在であるビバリー・ケイ(Beverly L. Kaye )氏の「From Telescope to Kaleidoscope: How to View Career Mobility(望遠鏡から万華鏡へ: キャリアの流動性をどう見るか)」に注目します。

ビバリー・ケイ氏は、望遠鏡(Telescope)のように遠くを見通して、直線的なキャリア開発を目指すのではなく、変化する職場環境に合わせて柔軟に自身のキャリアを開発し、視野を広げて可能性を模索するキャリア観(万華鏡<Kaleidoscope>型キャリア)を提唱しており、『会話からはじまるキャリア開発』(佐野シヴァリエ 有香訳、ヒューマンバリュー、2020年)の原著者の1人でもあります。

今年のセッションでは、「インターナル・キャリア・モビリティー」をテーマに掲げていました。社内におけるキャリアの流動性をいかに高めていけるかは、柔軟なキャリア開発を実現するために大切な考え方になります。昨今、多くのグローバル企業が取り組む人的資本開示レポートの中でも重視される指標の1つとなっています。

ケイ氏は、これからの時代において、上向きの直線的なキャリアだけを考えることには限界があり、マネジメントのポストも増えることはないという前提に立ち、キャリアを縦方向に構築していくことから、横方向や斜めに移動しながら、あたかもボルダリングに挑むようにキャリアを構築していくことを新たなキャリア観として提唱します。

そして、セッションの中では、インターナル・キャリア・モビリティーを高めるために必要となる6つのマインドセット及び経験について、下記が紹介されました。

1. ENRICHMENT(充実):Growing in place

自分の仕事に小さな変化を見出し、「今の自分のキャリアの充実」から始めること。

2. EXPLORATION(探求):Try before you buy

探求的経験がより良いキャリアの決断につながる。さまざまな方向性やスキルについて誰と相談できるのかを考えることが大切で、他の人とのネットワークを広げ、上司にやりたいことや興味のあることを伝えること。

3. LATERALL(側道):Sideways to highways

側道が実は成長へと移動するための道であり、新たなスキルのポートフォリオを構築することで、新たなプロモーション(昇進)への道筋を明らかにすることができる。

4. Realignment(再調整):Step back for a reason or a season

さまざまな理由やタイミングによって一見キャリアの後退に見えることでも、立ち止まることで再調整する。

5. Vertical(垂直):When up is the way(時が来たら道は開ける)

上に進む(昇格する)ことも当然視野に入れる。その際、昇進の利点だけではなくトレードオフ(両立できない関係性のもの)も調べることが重要。

6. Relocation(移転):Is the grass really greener?

隣の芝生は青く見えるかもしれない。異動を希望する前に、今すぐに周りの人と会話を始めること。

ただ制度や仕組みを入れるだけではなく、こうしたさまざまな方向性を視野に入れながら、上司や仲間を含めた多様な会話を行うことが、インターナル・キャリア・モビリティーを高める上では重要と言えます。セッションでは、T .S .Eliotの”The sad thing is to have the experience but miss the meaning”(悲しいのは、経験をしてもそこに意味を欠くことである)という言葉を紹介し、上述したような多様な方向性に進むことで経験を豊かにしていく大切さを語りました。

最後にケイ氏は、「人材開発の役割は、個人と組織のパラダイムを上昇文化から成長文化に変え、個人と組織のキャリア観のシフトを支援すること」「そのための秘訣は、いつもドアを開けたままにしておくこと」と締めくくりましたが、そこには一人ひとりが充実したキャリアを歩んで欲しいという強い願いが感じられました。ケイ氏の人柄と相まって、会場にいた誰もが背中を押されたようなポジティブな気持ちになる印象深いセッションでした。

Z世代のキャリア観・早期人材を育成し維持するための戦略

ビバリー・ケイ氏は、社内のキャリアの流動性が進まない要因の1つに世代間ギャップを挙げていました。

次は、組織の中核を担うZ世代のキャリア観やキャリア開発のあり方について扱ったセッションとして、「Next Gen Work: Strategies to Develop and Retain Early Talent (次世代の仕事:早期人材を育成し維持するための戦略)」を取り上げてみます。 スピーカーは、人事及びキャリア開発ソリューションを手掛けるReimagine Talent Co.の創始者兼CFOのチェルシー・C・ウイリアムス(Chelsea C. Williams )氏であり、Z世代をどのように引きつけ、育成し、リテンションするか、どのような職場づくりを推進すればよいのかについてのさまざまな示唆を提供してくれました。

セッションでは、最初に下記の2つの前提が確認されました。

・労働力には5世代があり、Z世代は2030年までに労働力の30%を占めるようになる。雇用主は、世代間の価値観と優先順位の変化を常に把握し、人材戦略を進化させる必要がある

・世代の多様性は解決するべき課題ではなく、最大限に活用されるべき機会である(Source:Pew Research)

その上で、Z世代の特徴を次のように深堀りしました。

「Z世代は最初のデジタルネイティブ集団であり、デバイスを駆使してマルチタスクをこなす能力にたけ、リモートワーク、バーチャルコミュニケーションを好みます。社交的でグローバル、かつ社会的な意識が高く、グローバルな問題にも関心が高い人が多いのも特徴です。職場ではダイバーシティー&インクルージョンへのコミットメントを重要視し、組織に対して、倫理的、社会的責任を優先することを期待しています。また、柔軟な働き方を求めていて、ギグ・エコノミーや起業、ワーク・ライフ・バランスの実現に重きを置きます」。

一方で、パンデミックの影響を大きく受けた世代でもあり、多くのZ世代はパンデミック発生時に高校生や大学生であったため、どのように仕事を捉え、どのように仕事をなすべきか、自動化と人工知能(AI)が進む世界で成功するために必要なスキルセットがどのように変化していくのかについて、かなり不安をもっている世代でもあるそうです。 パンデミックで人生がいつ奪われるかわからない状況や、私たちは働くために生きているのではないといったことを体験から実感しており、スキルへの不安やメンタルヘルスに対しての不安も大きく、キャリアと仕事、自分のアイデンティティに対して向き合う世代でもあることがわかってきました。

そして、そのようなZ世代のエンゲージメントを高め、Z世代の才能を開発するための実践的な戦略として、8つのステップが紹介されました。

1. キャリア準備に対するさまざまな見解に対処する

新卒者は総じてプロフェッショナリズムを身につけたいと考えている。雇用主は、Z世代にとってのプロとはどのような意味なのか、どのようなスキルを求めているのかを解明し、本当に必要とされる能力やスキルを育成する必要がある。


2. データを活用した戦略を立てる
次世代リーダーを育成するために、下記の3つのデータ基盤を持つこと。

・ソーシャル・キャピタル(社会関係資本):次の世代が職場で成功するために必要な人間関係を築くのを助ける
・スキル:業界やセクターを超えたパートナーシップでスキル構築を支援する

・職業上のアイデンティティ:プロとしての意識。機会やアクセスを通して構築されるものであり、組織は、次世代の人がその業界のプロとして活躍できるように支援する必要がある


3. 体験学習を通じてキャリアへの障壁に対処する

次世代の人、学生や就職活動をしている人たちに、その業界の仕事を紹介するなど、業界や企業へのパイプラインを構築すること。


4. ホリスティック(全人格的)な経験を支援する:アイデンティティに基づいたメンターシップ

これまでのキャリア開発の枠組みを超え、ウェル・ビーイングやダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン、ビジネスの成功などホリスティックな観点を含め、個人のアイデンティティに焦点を当てた「メンターシップ2.0」を再考する。


5. 組織の使命と目的を活用する

組織がその使命や目的、価値を考え、新しく組織に入ってきた人たちに語ることで、その人たちが、いかにキャリアを構築し、つながりやコミュニティーを生み出していくかを考える機会をもつ。


6. コミュニケーションと教育のためのテクノロジーを増やす

採用活動や教育のプログラムにおいて、テクノロジーを増やす。アーリーキャリアがプロフェッショナルに成長することをサポートする際にも、Kahootなどオンラインコミュニティーを通して仲間と共に学び、創造的につながることを支援する。


7. 人材育成を促進する部門間を超えたパートナーシップを築く

Z世代は全世代の中で最もメンタルヘルスの状態が悪く、将来への備えができていると感じていると回答した人も、44%という事実がある。エンゲージメントや生産性につながるメンタルヘルスを向上させるよう、組織は福利厚生を充実させ、従業員の現実に即したものにする。


8. メンタルヘルスと幸福の資源を増やす

組織で提供しているメンタルヘルス・サポートのベネフィットを拡大し、マネジャーやリーダーに周知し、利用できるようにすること。そして、柔軟な働き方を受け入れ、できる限り合理的な便宜を図り、マネジャーには会話の仕方を知ってもらう。

以上、8つの戦略を紹介してきましたが、セッションを通して個人的に感じたのは、私たちはもっとZ世代のリアリティーに向き合う必要性があるということです。私たちは自分の世代で経験したことをもとに人材開発を考えがちなバイアスがあるかもしれません。これからの組織の中心的な世代となるZ世代は、特にパンデミックの影響を強く受けた世代でもあります。今回ATDでもキーワードとなっているloneliness(孤独感)や不安を最も感じている世代かもしれません。そうしたリアリティーにも目を向けながら、組織や社会のキャリア開発環境を整える必要性があると感じたセッションでした。

スキルベースのメンタープログラムを構築する「マイクロ・メンタリング」

先のセッションではZ世代に対して、ホリスティック(全人格的)な経験を支援するためのメンターシップを提供する必要性が述べられていましたが、メンターのあり方についても多様なセッションがありました。

例えば、「How We Built a Transformative Skills-Based Mentor Program(スキルベースのメンタープログラムを構築する方法)」では、家電メーカーBelkin社のメンタリングの事例が紹介されました。Belkin社は世界25カ国で40年にわたってビジネスを展開しており、1000名以上の社員がいます。人間中心の設計の実現を目指しており、コアバリューとして、「研究・設計・革新」「持続可能性」「コミュニティー&教育」を掲げています。

事例では、社員のプロフェッショナルな成長のための「メンターコネクトプログラム」が紹介されましたが、その特徴の1つに「マイクロ・メンタリング」が挙げられていました。

「マイクロ・メンタリング」とは、伝統的なメンタリング(長期的で広範囲な課題を扱う関係)とは異なり、特定の課題や問題に焦点を当てた短期的なメンタリング関係を指します。より即時的で、的を絞った指導や支援を行う、スキルベースのメンターシップです。このスキルベースのメンターシップは、役割に直接関係するスキルとコンピテンシーの強化に焦点が当てられているそうです。

メンティーは、それぞれの問題に対してそれぞれ異なるメンターに指導を求めることが可能です。このアプローチにより、豊かな学習経験をメンティーに提供することができ、メンティーは短期間でさまざまな専門家の知識や経験を活用することができるようになるそうです。「マクロ・メンタリングはアクセスしやすく、柔軟性に富んでいるため、スピードが速く、ダイナミックな環境変化へ対応すること適している」と話していました。 また、以下のマイクロ・メンタリングの5つの構造的特徴が紹介されました。

・ 拘束時間は最低4回のミーティング

・ いつでも始めることができる

・ お互いの仕事上の責任を尊重する

・ メンティーは目標とアクションプランを推進する
・ 四半期ごとに新しいペアリングに更新する

関係者は多様で、プログラム・マネジャー、メンターとメンティー、そしてメンターのマネジャーも関わります。また、プログラム・スポンサーとしてエグゼクティブが関わることもあるようです。メンターとメンティーはビジョンを共有し、組織がメンティーのキャリア目標の達成を支援する枠組みを提供しているのです。

プログラムへの参加はあくまで任意で、メンティーがメンター名簿からメンター候補を選び、一対一のマッチングによるペアリング・モデルで進められます。

プログラム前に開催されるワークショップには、参加が必須だそうです。そのワークショップは、「メンター・コネクト・説明会」「スキルマップ作成方法のワークショップ」「グロース・マインドセット」がテーマとなっています。

セッションでは、その他、応募に使われるテンプレートや、メンタリングについて学ぶリソースの紹介、メンタリングに関する取り組みの紹介などがありました。 興味深いと感じたところは、メンタリング・プログラムをBelkin社の企業文化には不可欠なものと位置付けているところです。スキルにフォーカスし、短期間で、多様な人からそれぞれの経験や職務上のアドバイスを受けることによって、スキルの開発のみならず、組織の価値観を共有することにもつながりやすくなると感じました。

心理的安全性の文化を築く4つのシンプルなヒント

ビバリー・ケイ氏は先のセッションで、社内のキャリアの流動性を阻害するもう1つの要因として、職場や組織の心理的安全性が低いことを挙げていました。そうした組織では、メンバーが「新しいことや正しいと思うことをやって、自分が失敗したら、そのことが自分のキャリアに影響を及ぼすのではないか」という不安を感じているという点を挙げて、心理的安全がキャリア開発に及ぼす影響について言及しています。

そうした背景もあり、今年も心理的安全を扱うセッションが多く見受けられました。

例えば、「4 Simple Tips to Build a Culture of Psychological Safety(心理的安全性の文化を築く4つのシンプルなヒント)」があります。

スピーカーであるDX Learning Solutions社CEOのアレックス・ドレーパー(Alex Draper)氏は、心理的安全性を「最高の仕事をし、最高の自分でいられるように、自分にとって重要なことを早めに発言し、頻繁に発言できる環境のこと」と定義づけています。

セッションでは、最初に「私たちにとって心理的安全性はなぜ重要なのか?」という問いかけがありました。それに続いて、「将来の働き手にとって、職場の文化はどれくらい魅力的なものか」という調査の結果から、回答者の40%が、職場の文化を最優先事項として捉えており、77%が応募する前に企業文化を考慮し、56%が給料よりもより良い組織文化の方が重要と答えているというデータが提示されました(Glassdoor2019)。

その上で、アレックス氏は職場の心理的安全性を高めるための4つのヒントとして、C(CLARITY)・ A (AUTONOMY)・R (RERATIONSHIPS)・E (EQUITY)を取り上げ、そこで生じるさまざまなバイアスと共に紹介してくれました。

1つ目のCLARITY(明瞭さ)は、期待について十分にコミュニケーションし、成功についての共通の理解を生み出すことです。「バイアスは取り除くことはできないが、リーダーが心理的に安全な文化を組織につくる場合、明瞭さは重要だ」と語り、3つの問いが用意されていました。

・ あなたのリーダーは、チームの不確実性を積極的に軽減していますか?

・ あなたのリーダーは、チームの目的やゴールをチームに伝えていますか?

・ あなたのリーダーは、メンバーが自分のタスクを正確に理解していることを確認していますか?

2つ目はAUTONOMY(自律性)です。これは適切なオーナーシップと自己の方向性をメンバーに与えることです。ここで生じやすいのは、最初に触れた情報に意思決定が過度に依存してしまう「アンカリング・バイアス」です。そして、AUTONOMY(自律性)に関する問いとして、以下の3つが紹介されていました。

・ あなたのリーダーは、現状を打破する新しいアイデアを奨励していますか?

・ あなたのリーダーは、チームやメンバーの誰かをマイクロマネジメント(管理コントロール)していませんか?

・ あなたのリーダーは、チームがその仕事をうまく遂行するために必要な権限を確実に与えていますか?

3つ目はRELAITIONSHIPS(人間関係)です。人間関係とは、率直さ、信頼、協力を促す個人間のユニークなつながりを育むことと定義されていました。心理的に安全な文化において会話は不可欠ですが、実は会話の中には「ナルシシズム」のバイアスが潜んでいることがわかっています。人の脳は会話を支配しようする傾向があり、しばしば相手の話題を無視して、自分に焦点を戻してしまいます。そこで、リーダーは次の3つの問いをもとに「日常の会話の際に『共感』を示す必要がある」と語っています。

・ あなたのチームメンバーは、個人的な事柄について直属の上司と話すことに抵抗を感じていませんか?

・ あなたのリーダーは、ぞれぞれのチームメンバーが幸福かどうかを気にかけていますか?

・ あなたのリーダーは、部下が仕事において安心して自分らしくいられることを保証していますか?

4つ目はEQUITY(公平性)で、一人ひとり固有のニーズに即したサポートを行うことと定義されました。DX Learning Solutionsのデータによると、組織で働く人の3分の2が燃え尽き症候群を体験しており、若者が雇用主に求めるものとしては、「会社の社会的責任」を抜いて、「従業員を公平に扱う」が73.1%を占めているそうです。EQUITYに関する3つの問いは下記となります。

・ あなたのリーダーは、メンバーが必要な時に直属の上司から特別な支援を得られるようにしていますか?

・ チームメンバーの1人が予期せぬ困難に遭った時、あなたのリーダーは仕事量を調整しますか?

・ あなたのリーダーは、チームのメンバー一人ひとりに適したアプローチができるよう考慮していますか?

そして最後にアレックス・ドレーパー氏は、CRARITY・AUTONOMY・RERATIONS・EQUITYの頭文字を並べて「CARE」として、高いパフォーマンスを発揮するためにも「CARE」をもっと実践しようと声を掛けました。「影響力をもつリーダーは、メンバー一人ひとりに意図をもって接し、メンバーに直接会って、メンバーが必要とするものを与え、でも与え過ぎないようにすることが重要だ」と語ります。そして、「高いパフォーマンスを発揮するチームには高いパフォーマンスを発揮するリーダーが必要で、リーダーは4つの CAREを通して心理的安全性の高い組織文化を構築することで、高いパフォーマンスを発揮するチームをつくることができる」と締めくくりました。

組織文化は、もちろんリーダーだけがつくるものではありませんが、リーダーは自身の影響力を理解して意図的にリーダーシップを発揮し、実践しながら、心理的安全性の高い組織文化を積極的に構築することが、現代のリーダーシップのあり方の1つになるのではないでしょうか。

「人材開発のこれからの役割」

ここまで、キャリア開発という切り口からさまざまなセッションを紹介してきましたが、どのセッションにも共通して根底に流れていたのは、一人ひとりが自分らしく働き、生きることを願う想いとそれを支援する重要性であったように思います。

最終日の基調講演で登壇した、テニス・プレイヤーであり、ビジネスや社会活動にも取り組むビーナス・ウイリアムス氏は、「私たちが幸運にも自分のやりたいことを選べるなら、そして自分が好きなことを選べるなら、私にとっては、それが幸福の定義の1つなのです」と語っていたのが印象的でした。

人材開発部門の役割を担う私たちは、多様なキャリア観を支援することはもちろん、個人のキャリア開発だけではなく、キャリアに関する個人と組織のマインドセットの転換を促進し、それぞれのキャリアを支援し合う環境をつくり、組織文化を育むことも、これからの大事な役割になるのだと感じられた4日間となりました。

5. D E I(ダイバーシティ、エクイティ、インクルージョン)の現状から見えてきた課題と展望

取締役主任研究員 長曽 崇志

ATDのトラックの1つである「Talent Strategy & Management(タレント戦略&マネジメント)」では、組織のパフォーマンス向上や変革の推進について、さまざまな実践事例や研究に基づいたモデルやアプローチが紹介されています。テーマとしては、タレント・ディベロップメント、エンゲージメント、組織のカルチャー醸成など多岐にわたっています。

その中でも、今年特に注目したのはDEIです。今日DEIは、より良い組織づくりとそれを担う人材育成の基盤を成す考え方やアプローチとして広く認識され、世界中で取り組みが推進されています。一方、組織を取り囲む外部環境の複雑さや、人材育成のニーズや課題の多様化、個別化が加速する中、それらに合わせた対応策の考案に苦慮している組織の現場や人材開発・組織開発部門は多いのではないでしょうか。そうした課題意識から参考になったセッションをいくつかご紹介しながら、DEIの現状とそこから見えてきた課題や展望について述べたいと思います。

DEIに対する反発

米国では、DEIの取り組みが進む一方で、それに対する反発が起きていることが直面する課題として挙げられています。「The DEI divide(DEIの分断)」のセッションでは、DEIに対する反発がどのように生じ、その背景には何があるのかについて、参加者との対話を通じて深く掘り下げられました。

その中で、会場の参加者からの声として共有された主な反発の要因には、以下のものがありました。

• 恐怖(Fear):異なる存在に対する漠然とした恐怖のこと。人々は、自分と異なるものを理解することが難しく、その結果として無意識にそれを避けたり、拒絶したりする傾向がある。

• 無視(Ignorance):異なる存在を考慮や配慮をしないこと。無視されることで、相手は自分の存在や価値が認められていないと感じ、そうした感情が誘因となって反発を引き起こす。

• 力の喪失感(loss of Power):自分の立場や影響力が奪われると感じること。特に、既存の権力構造の中で変化が求められる場面では、こうした力の喪失感や無力感が強く働く。

こうした反発が米国で起きる背景として、歴史的に根深い人種差別問題があるとのことでした。公民権運動を通じて定められたアファーマティブ・アクション(積極的な差別是正措置)を皮切りに、DEIの取り組みは年月を重ねながらゆっくりと「進化」してきたものの、2020年のジョージ・フロイド事件をきっかけに先鋭化したBlack Lives Matter運動の拡大というある種の「革命」によって、州によっては、反DEI議案が提出されるなど、反発の動きも同時に巻き起こっているとのことでした。

そうした話を受けて、ある参加者が、「DEIを社会正義としての文脈で捉えようとし過ぎないことも大事である」といった趣旨の意見を表明しました。それに対して講演者が、組織の本来の目的の実現のために、DEIをどう生かしていくかといった共通の視点をもつことで、インクルーシブな職場環境を実現していくことが現実を踏まえた建設的なアプローチであるとして、その参加者の意見を受け止めていたことが印象的な場面として映りました。

では、どうすればこうした反発を招かずにDEIを推進していくことができるのでしょうか。 セッションの中では、特に心理的安全の確保とフィードバック文化の重要性が強調されました。そして、そのために有効な取り組みとして、以下の内容が紹介されていました。

• 組織の中で働く人々がそれぞれ自分の持ち場から、相手に対して一方的に意見や批判の声を上げるような状況から脱却し、一堂に会する場を設けて、境界を越え、互いの声を出し合い、違いを受け止め合っていく対話のプロセスをつくることが相互理解の促進につながる。

• 違いを包摂して、前進するためには、皆でシェアド・ビジョンを描くことが必要となる。実現したい状態を共有化することで、信頼関係も高まり、目指す方向に向けて協力し合える。

• そして、そのシェアド・ビジョンの実現に向けて、互いに支援し合いながら進めることで、一人ひとりのグロース・マインドセットを高める。

 その他にも、組織的にDEIを進めていくための押さえどころとして、以下の内容が紹介されていました。

• 経営などのリーダーシップチームの関与が不可欠であり、変化への抵抗を乗り越えるための戦略を策定し、メッセージを発信していく。

• 組織全体として、DEIの価値を理解し、実践するためには、継続的な教育とサポートが必要である。その前提として、包括的なインクルージョンであること。つまり、組織の中で、あらゆる人々が本当にインクルージョンされているかを問いながら、マイノリティが排除されない、真の意味でのインクルーシブな取り組みを行っていく。

日本では、米国ほど異なるバックグランドの人々と日々接する機会は多くはないため、米国で起きているようなDEIに対する反発は、一見イメージしづらい事象と思えるかもしれません。しかし、解像度を上げて組織の現場の動きをつぶさに観察してみると、実はDEIの取り組みの水面下に、反発につながる課題があることを発見できるかもしれません。そうすることで、組織全体として、より健全で意味のあるDEIの活動へと進化させる糸口をつかむことができるのではと思いました。

多様性を生かし、組織のイノベーションやパフォーマンス向上に資する心理的安全

DEIをより良く推進していくためのポイントの1つに心理的安全があります。この心理的安全について、これまでとは切り口が異なり、興味深く感じたセッションを紹介します。

「The Neuroscience of Psychological Safety and Teamwork(心理的安全とチームワークの神経科学)」のセッションでは、心理的安全性を単に従業員を引きつけるためのものではなく、組織のイノベーションやパフォーマンスを大幅に向上させるものとして捉える、その背景やポイントについてエビデンスを交えながら紹介されました。

米国では、未曾有のイノベーションへの期待が高まるなど、組織を取り巻く競争環境がより一層厳しくなっており、かつ日々業績向上に向けた取り組みへの邁進にも拍車がかかっているようです。一方、そうした負荷が増加する状況下、従業員の心身へのケアの度合いは減少しているとのことでした。

それに伴い、組織的にも従業員への共感が低下し、不安や恐れ、孤立感、燃え尽き症候群(バーンアウト)といったメンタル面の課題が顕在化しています。実際、従業員が感じるストレスや不安は、パンデミック以前よりも30%増加するとともに、全世代に共通した要望として、従業員のウェルビーイングの向上が挙げられているとのことです。

心理的安全の低さは、従業員のネガティブな思考や感情の増加を助長し、組織の生産性やイノベーションを低下させ、意図したビジネスの結果につながらなくなるとのことです。また、従業員のメンタル疾患の26%は心理的安全の低さがもたらすというデータも示されました。

そうした前提を踏まえて、どのようして心理的安全を向上させるかについてのポイントの紹介がなされました。

• 神経伝達物質への働きかけ:セロトニン、オキシトシン、エンドルフィンといった心理的安全を向上させる神経伝達物質に働きかける。これらの物質は、従業員の幸福感やつながり感を高める効果がある。

• リーダーシップ・コンピテンシーの再定義と評価:リーダーシップのスキルやコンピテンシーを再定義し、心理的安全を高めるための指標を設定する。その上で、マネジメントの評価の中に組み入れる。

• 定期的なモニタリングと情報開示:心理的安全が高まるような施策や仕組みを定期的に評価し、改善をし続ける。その際、従業員満足度調査の結果や社員の声と併せてオープンに開示することで、心理的安全の進捗が全体に共有され、さらなる推進の機運が高まる。

今日、DEIの文脈で心理的安全が語られる場合、従業員が思っていることをいかにスピークアップできる環境を整えるといった意味合いで捉えられがちです。一方、本セッションでは、心理的安全を、一人ひとりの能力が如何なく発揮され、成果に結びつけられるような組織文化を構築するための重要な要素として捉えるなど、心理的安全の意味や価値を深掘りして学習する機会となりました。

ダイバーシティを深掘りする〜ニューロダイバーシティとは何か?

そして、今年のカンファレンスでは、DEIの中でも近年注目を集めているニューロダイバーシティに関するセッションも行われました。

「Beyond Diversity: Embracing Neurodiversity for Organizational Success(多様性を超えて: 組織の成功のためにニューロダイバーシティを受け入れる)」では、現代の組織運営においてDEIは重要なテーマとして広く認識されつつも、ニューロダイバーシティの理解と受け入れについては、依然として不足していることを指摘しています。

ニューロダイバーシティとは、「自閉症スペクトラム障害(ASD)や注意欠陥多動性障害(ADHD)などの神経発達状態の違いを認識し、尊重すること」を指します。これらの違いは個人の欠陥ではなく、異なる認知スタイルや才能を示すものであるといった特性として捉えています。例えば、世界保健機構(WHO)によれば、人口の15~20%がニューロダイバーシティの特性があると推定しているようです。一方、疾病対策予防センター(CDC)では、人口の40%にニューロダイバーシティの特性があると見積もっているようです​​。

次に、ニューロダイバーシティが組織にもたらす価値や受け入れのポイントについて、説明がなされました。

• ニューロダイバーシティの受け入れは、職場における創造性や問題解決能力の向上につながる。例えば、ADHDをもつ個人は変化へ迅速に適応する力が高く、創造的な思考が得意であり、起業家やジャーナリストとして成功する傾向がある​​。一方、自閉症スペクトラムの人々は、細部への注意力やパターン認識に優れており、これが専門分野での活躍を可能にする。

• ニューロダイバーシティの才能を最大限に引き出すためには、合理的配慮が必要である。具体的には、柔軟な労働時間や静かな作業環境の提供、リモートワークの推奨などがある。また、フィードバックの方法やコミュニケーションの取り方にも工夫が求められる。例えば、ADHDの人々には具体的かつ明確な指示をすることが効果的であり、自閉症の人々には視覚的な情報提示が望ましい​​。

• ニューロダイバーシティをもつ従業員が自己開示しやすい環境をつくることも重要である。現状では、ニューロダイバーシティの特性をもつ従業員のうち、雇用主に公表しているのは2%未満に過ぎない​​。こうした状況を改善するためには、彼らが安心して自己開示できる環境を整えることが必要である

ニューロダイバーシティの受け入れは、経済的な利益をもたらすということにも触れられていました。しかし、多くの組織ではインクルーシブな職場環境が整っていないため、彼らの才能を無駄にしているとのことです​​。合理的配慮を提供することは、彼らが最大限に能力を発揮できる環境づくりにつながります。

では、どうしたらそうした職場環境を整えることができるのでしょうか。

セッションの中では、以下のような施策が提示されました。

• 文化的包摂:職場では、柔軟な勤務形態や教育プログラムの提供を通じて、ニューロダイバーシティの特性をもつ人々が働きやすい環境を整えること。

• 回復力の要因:支援システムや制度的抑圧の影響を理解し、ニューロダイバーシティの特性をもつ人々の回復力を高めるための施策を講じること。

• リーダーシップ:リーダーは、ニューロダイバーシティのイニシアチブを推進することへの支持を公式に表明し、インクルーシブな行動の模範となる。これにより、組織全体にニューロダイバーシティに対する重要性への認識と理解が定着する。

• オープンな対話:従業員が安心してニューロダイバーシティの特性について自己開示し、配慮を求めることができるようなオープンなコミュニケーションの流れを確立すること。

• 定期的なチェックイン:ニューロダイバーシティの特性をもつ従業員と定期的に1on1の面談を行い、彼らの健康状態やキャリアアップについて話し合うこと。これにより、必要なサポートをタイムリーに提供することができる。

セッションを通して、ダイバーシティの中でも、認知度がまだ十分とは言えない、ニューロダイバーシティへの理解をいかに深められるのか、そして、ニューロダイバーシティの特性をもつ人々の可能性が解き放たれ、存分に活躍できるような環境を整えることの重要性を感じました。

その一方、本セッションとは別の話になりますが、組織の競争戦略や成長戦略の一環として、ニューロダイバーシティの特性をもった人々をどう活用するかといった論調の情報をしばしば目にすることがあります。そうした、人を手段的に扱う論調がはらむリスクや影響についても、引き続き探究していきたいと思います。

DEIを貫く軸であるビロンギングの実践

最後は、ビロンギングの実践についてのセッションを紹介します。ビロンギングはインクルーシブな組織や職場が実現した時に、そこに所属する従業員が抱く帰属意識や感情について示しているものですので、これまで紹介いたしました3セッションとのつながりや関連なども踏まえて、見ていきたいと思います。

「The Energy of Belonging: 9 Ideas to Spark Workplace Community(ビロンギングのエネルギー:職場のコミュニティに火をつける9つのアイデア)」では、職場におけるコミュニティやチームの一体感の醸成に、ビロンギングがどのように影響しているかについてフォーカスが当てられました。

ビロンギングとは、「組織で働く個人が、歓迎され、受け入れられ、評価され、安全であるという認識の下で感じる安心感や皆に支えられているという感覚」のことを指しています。ビロンギングを高めていくことは、組織の生産性や創造性の向上にも寄与することにつながり、組織全体のパフォーマンスにも大きな影響を与えるものとされています。 本セッションの中では、そうしたビロンギングを高める具体的な9つのアイデアが以下のように示されていました。

本セッションの中では、そうしたビロンギングを高める具体的な9つのアイデアが以下のように示されていました。

• つながり(Connected):同じ職場の人々とつながっていると感じること

➢促進ポイント:

1. 仕事以外のトピックについて話すこと

2. 共に笑う時間を共有すること

3. 上記の体験を通じて、相手のことを思い出すこと

• 尊敬(Respected):同僚や上司から尊敬されていると感じること

➢促進ポイント:

1. 同僚や上司からアドバイスを求められること

2. 彼(ら)から学んだということを、他のメンバーに伝えること

3. 尊敬する相手がもつ才能を彼らに伝えること

• 保護(Protected):職場では信頼関係によって守られていると感じること

➢促進ポイント:

1. 自分の弱い一面を共有することで、率先して職場に透明性のある雰囲気をつくること

2. 他者が出したアイデアを無視しない

3. 誰かを助けたいと申し出る

職場でのビロンギングを高めるためには、一時的に満たされた感情をもつだけでは十分でありません。日々の仕事の中で、より良い人間関係の構築につながる小さな行動を積み重ねることによって、良い感情を醸成し、持続させることが大切だと感じました。そのためには、「一人ひとりが相手のエネルギーを高める火付け役になることができ、職場での一体感を高められる」という共通認識をもって推進することが鍵になりそうです。誰もが職場で必要とされ、「自分はここにいていいんだ」といった実感があふれる組織ほど、魅力的な組織はないでしょう。

全体を通じての所感

今回のこのテーマの探究を通じて、DEIの取り組みが組織に与えるインパクトの深さをあらためて実感することができました。特に、DEIへの反発の背景にはある、異なる存在に対する恐怖や無視、力の喪失感について認識することが重要であるということが印象に残っています。これらの感情は、個々の心理的安全を損ない、エンゲージメントをマイナスに転じさせるとともに、結果として組織全体の生産性やイノベーションを低下させる要因にもなります。

また、ニューロダイバーシティの重要性も浮き彫りになりました。ニューロダイバーシティの特性をもつ人々が職場で自己開示できる環境を整えることは、彼らの心身の健康を保ち、独自の強みを発揮させるために不可欠なことです。これにより、組織は多様な視点を生かし、より創造的で革新的なアイデアを生み出すことができるでしょう。

そして、ビロンギングは、DEIがうまく進んでいるかどうかを示す重要な先行指標となり得ることから、ビロンギングの高まりをモニタリングしながら、DEIの効果的な施策を講じていくことが大切だと思います。そうすることで、従業員のエンゲージメントも向上し、組織のウェルビーイングの風土醸成にもつながるということへの理解もより深まりました 最後に、DEIの取り組みとは、単なる社会的な要請や倫理的な義務として遂行するものではなく、働く人々のポテンシャルを信じ、解放することを目的とした、人間中心の組織運営の根幹を成すものであるという捉え方が、自分の中で腑に落ちた気がしています。

6. ラーニング・エコシステムの進化とAIの活用

取締役主任研究員 川口 大輔

数年前からラーニング&ディベロップメントの領域では、「ラーニング・エコシステム」という言葉がキーワードになっています。

コース単体のデザインにフォーカスするのではなく、学習者が学ぶ環境全体を捉え、知識学習から経験学習、ネットワークによる学習など、さまざまな学習を組み合わせ、ホリスティックな学習を可能にする環境そのものを、テクノロジーを活用してデザインしていくという考え方が、ATD24においては企業の学習戦略として当たり前のようになってきており、かつ全体のクオリティが高まっている印象を受けました。 同テーマに関連して、いくつか興味深いセッションを紹介してみます。

働く人を中心に置いたラーニング・エクスペリエンスをいかにデザインしていくのか

「Upskilling a Future-Ready Workforce – A Skills-Based Success Story(将来を担うワークフォースのスキルアップ:スキルベースのサクセスストーリー)」では、デロイト社が従業員のアップスキルにどのように取り組んでいるのかについて、実際に活用しているプラットフォームやそこで展開されているプログラムの例と共に紹介されました。

同社では監査の仕事に取り組む人たちが、キャリアのステージごとに、異なるラーニング・エクスペリエンスを得て、アップスキルを実現していけるような仕組みが整えられています。

セッションでは、まずキャリアをスタートしたばかりのメンバーの例を取り上げ、A&A Adventureと呼ばれる数カ月間続くオンライン上でのラーニング・ジャーニーが紹介されました。

そこでは、プログラムをスタートする前のレディネスの形成から、豊富なコンテンツやツール、リフレクションなど、多様な学習機会に触れられるようになっています。そして、共に学び合う学習者同士のコミュニティを形成したり、学習に取り組んでいくとバッジを獲得することができ、それらを自分のダッシュボードで一覧できるなど、学習者の好奇心を高め、学習を継続させるための工夫が至るところに施してありました。

また、よりアップスキルが求められる若手リーダー層、さらに異なるステージに向かうためにリスキリングが必要となる中堅層など、それぞれのペルソナごとに異なる学習コンセプトが定められ、必要な学習環境がデザインされています。

知識を得て学ぶ客観主義的学習、体験から自分の枠組みを築く構成主義的学習、人とのつながりや対話から枠組みを再構成する社会構成主義的学習のバランスが、学習者のニーズや状況に沿ってうまく組み合わされ、学習者を中心に置いて、学習を最大化する環境が効果的にデザインされている印象を持ちました。

ケイパビリティ・アカデミーを構築する

また、「A Guided Workshop on How to Launch a Capability Academy(ケイパビリティ・アカデミーの立ち上げ方に関するガイド付きワークショップ)」では、ブーズ・アレン・ハミルトン社でタレント開発を担当する2人から、同社が取り組む「Capability Academy(ケイパビリティ・アカデミー)」の考え方と実践のあり方が紹介されました。

ケイパビリティ・アカデミーは、HR領域のトレンドを発信するJosh Bersin氏によって提唱され、近年注目されている考え方です。Bersin氏は、かねてから「Learning in the Flow of Work(仕事の流れの中で学ぶ)」という考え方を提唱しており、研修のような特別な学習機会が提供されるのではなく、仕事のフローの中に学習を埋め込んでいくスタイルに今後は変わっていくだろうと述べていました。ケイパビリティ・アカデミーは、これまでのコーポレート・ユニバーシティ型の学習スタイルではなく、会社の戦略的として大事にしていきたい従業員のケイパビリティを特定し、それらを高めるための学習環境を、従業員を中心に置いてデザインし、仕事の流れの中で学ぶことを可能にしていきます。これは、ラーニング・エコシステムの考え方と親和性が高いと言えます。

ブーズ社では、ケイパビリティ・アカデミーの特徴・ポイントとして、「コンテンツ・ライブラリーをそろえたり、コースをデリバリーするではなく、仕事で必要なケイパビリティを高めることにフォーカスを置く」「本人のケイパビリティの開発につながるアサインメントやプロジェクトを意図的に提供していく」「そのケイパビリティの専門家やリーダーを巻き込みながら、学習環境を協働でデザインしていく」「資格認定のプログラムを持つ」「人事や人材開発ではなく、ラインのビジネス・リーダーがスポンサーになる」といった点を挙げているとのことでした。

セッションの中では、ケイパビリティ・アカデミーを自社で立ち上げる上でのステップが紹介され、「ビジネスニーズを踏まえた上で、自社にとって重要なケイパビリティを特定する」「ビジネスのスポンサーや内外のパートナーを特定する」「巻き込むステークホルダーを特定する」「テクノロジーに投資する」などの観点から、自分たちの会社への適用の仕方を模索しました。

特に印象に残ったこととして、社内外の多様なステークホルダーを巻き込むことが重視されていて、学習をどうデザインしていくかという、提供者側の視点からも豊かなエコシステムを築こうとしていたことが挙げられます。 実際にデザインされた学習のプラットフォームの例も紹介されましたが、上述したデロイト社の例と同様、客観主義的学習、構成主義的学習、社会構成主義的学習など多様な学びが織り交ぜられていて、こうした学習のデザインが今後スタンダードになっていく流れを感じました。

AIの力でラーニング・エコシステムを変革する

他のビジネス・トピックと同様、近年のATDではAIが大きなテーマとして掲げられていますが、今年もその傾向は高まっています。AIに関連したセッションはATDの全セッションの10%を超え、参加者も多く、その関心の高さがうかがえます。

内容としては、「生成AIとは何か」というような、模索段階のセッションもありましたが、これまで以上に具体的な活用や議論に移行しているように感じられました。

具体的には、L&Dに関わる人々が、ラーニング・エコシステム全体を捉えて、エコシステムを構成するそれぞれの段階でAIをいかに適用していくべきかという検討を行うフェーズに入ってきていることがうかがえました。

例えば、「Harness AI to Transform Your Learning Ecosystem(AIを活用してラーニング・エコシステムを変革する)」では、ラーニング・エコシステムを構成する要素を「知識の共有」「パフォーマンス・サポート」「学習の強化」「コーチング」「プル型のトレーニング」「プッシュ型のトレーニング」として捉え、それぞれの機能において、どのようにAIが活用できるかを見極め、学習プロセスや体験をデザインしていくことの必要性が語られました。

特に、グローサリー・ストアにおいて、標準作業のマニュアルに関する店員教育という実際の例を挙げながら、伝統的な学習のデザインと、現代的なAIを活用したラーニング・エコシステムでは、学習のあり方や学習者の支援のあり方が、どのように変わるのかといったことを具体例として示していたところが興味深かったです。

セッションを行ったLearnGeekを運営するJDディロン氏は、エコシステム全体でAIを適用し、価値を生み出していくためには、「L&Dは、仕事がどのように変化しているかを理解しなければならない。そして、ツール、システム、プロセスをこの新しいバージョンの仕事に適合させることが必要となる」と語りました。 以上、ここまでラーニング・エコシステムに関する議論を紹介してきました。学習のデザインをエコシステム全体に広げることで、ラーニングのあり方が大きく進化しようとしています。それに伴い、L&Dの役割や関わる人々も変わり、新たなマインドセットやスキルを学んでいくことが必要となるでしょう。

関連するメンバー

私たちは人・組織・社会によりそいながらより良い社会を実現するための研究活動、人や企業文化の変革支援を行っています。

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